アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

6/20の不安:服選ぶのが苦手だよって話。

首記の件、共感して下さる方いらっしゃいますか。

私は、学生時代かなり苦労しました。

女の子にモテたい。。。という気持ちと、服はよくわからん!という気持ちとの狭間で、いつも引き裂かれるような思いをして来たのでした。

学生の頃から服を選ぶという行為が苦痛でなりませんでした。

アルバイトで稼いだなけなしのお金を手にお店に行くわけですが、あのオシャレな気取った雰囲気と店員のお兄さんの雰囲気が苦手でした。

というのも自分がイモ兄さんだという自覚があったので、お店の雰囲気から自分が浮いているような感じがして気分が悪かったのでした(自意識過剰になっちゃいます)。

それに何を着てもお店の人は褒めてくるので当てになりません。自分がファッション情弱なことをいいことに適当な服を掴ませようとしてきやがる!!

かといって、自分のセンスは全く当てになりませんでした。

自分でカッコいいと思ったものを選んでも、後になって考えると冷や汗が出るようなものを選んでいた、なんてことが何度もありました。

それに基本的に何を着ても着られている気がする。。。。

マネキン買いすれば?という意見もありますが、それじゃ着回しできないんです。

お店に行くのは苦痛以外の何物でもない!

ネット通販では試着できませんので、かなりリスクを負うことになります。(今ではZOZOスーツなるものがあるようですが。)

私は一般的な大学生と同じく「モテたい!」という気持ちが強く、常に鼻息を荒くしていたので、服を選ぶことを諦めるという選択肢は私の中にありませんでした。

ですからユニクロ等のファストファッションだけで身を固めるということもできませんでした。この時そうは言っても高いものにはそれなりの理由があることも知っていたのでした。(おしゃれな人はうまく部分的に安物を取り入れていますね。)

あれから幾年耐えて、試行錯誤を繰り返し、それなりに服の選び方(店員さんへのお願いの仕方)、自分の好みがわかってきたような気がします。

今は、スーツを買う場合は全てお店の人にチョイスを任せてしまいますし、プライベートでは、個人的にかなり無難と思われる格好をするようになりました。

この夏は、無地のTシャツ(ホワイト、グレー、紺)だけを着て、パンツは黒もしくはデニム生地のスキニーしか履きません(細身です)。靴はジャックパーセルの白、若しくはニューバランスの黒のスニーカーのどちらかです。腕にはシルバーの腕時計。

 これが私が長年かけて辿り着いた結論(夏Ver.)です。攻めに攻めていない無難な格好だと思っていますがいかがでしょう。

私は気に入ったものはずっと着続けたいタイプです。それは、自分がそもそも保守的だからというのもありますし、自分の気に入った格好を自分のアイコンにしたいという考えもあるからです(スティーブ・ジョブズ的な)。

気に入ったものをずっと、という点で言うと、靴のジャックパーセルのスニーカーは大学3年生の頃から履き続けていますので(もちろん汚れたら買いなおします。)、かれこれ5、6年同じ形のものを履き続けていることになります。

この格好で個人的には満足なのですが、そうは言っても、街に繰り出すと自分の垢ぬけ無さが際立つので、少しモヤモヤします。私は洗練された人に憧れていますので、どうやったら垢ぬけられるか現在も模索中です。(垢抜けないのはきっと華奢な体型と童顔と髪形のせい。)

 

それで、大学生になるまでは、自分が服を選ぶのが下手だなんて想像していませんでした。

それどころか、自分はそういったことが得意な方なんじゃないかとさえ思っていました。

なぜ、そのような勘違いをしていたかというと、私は絵を描いたりするのが好きだったからです。父親も美術系の学校を出ていましたし、中学時代、美術は3年間オール5でした。

小さい頃から父親が絵を描いているような環境で育ったため、自分にもそういった才能がある→色の組み合わせを選ぶ才能がある→ファッションセンスがある。。。

こういった具合で自惚れていたのでした。

ところがどっこい、現実はそうではありませんでした。

なぜ、色を選ぶことができても服を選ぶことができないのか。

それは、服を選ぶということは、色を選ぶということ以上に配慮事項が多いからだと思っています。恐らく私は文章を書くのと同様に情報を統合する能力に欠けるので、服選びが出来ないのだと思います。

(個人的に服選びに必要だと思う配慮事項)

  1. サイズ感
  2. 清潔感
  3. 季節感
  4. 色の組み合わせ
  5. 流行り
  6. TPO(ドレスコード等)
  7. その他小物に対する配慮

いかがでしょうか。ちなみに私は自分で服を選ぶことはできませんが、どういった格好がカッコよくて、どういった格好がダサいかは判断できると思っています(もしかしたら、ここにも自惚れが影を潜めているかもしれませんが)。

 

なぜ、今日こんな話をしたかというと、今日はホビーショップのレジの行列に並んでいて、そこにいた方全員が服装に無頓着に見えたからです。

なぜ、ホビーショップにいたかというと、バンダイが販売しているエヴァンゲリオン零号機のプラモデルを購入するためです。

(定価の10%引きの特価で入手できました。やったーーー)

行列に並んでいる間に服のことについてあれこれ考えました。

きっとプラモデルが好きな方は、恐らく私と同じように視覚情報を処理する能力に長けていると思うんです(プラモデルは完成後に見られる対象になるからです)。

それでもなぜ、視覚情報処理に優れているはずのプラモデル好きが、揃いも揃って服装に無頓着になるのかということが、一つの矛盾のように思えてなりませんでした。

それでも、この疑問を解決するには、自分のことを整理すればわかる事でした。上記に示した通り、服装選びは色の組み合わせだけによらず、様々な情報を統合する必要のある高度な作業、行為なのでした。

服選びに限らず、部屋の片付けやコミュニケーションができるかできないかは、脳の処理能力の問題だと自分は考えています。

はあ、おしゃれな人が羨ましい。。。

女性にもてるには、服装に関して言えばとりあえず清潔感があればいいですかね??

ということで今日は以上です!

6/19の不安:吉濱ツトム『アスペルガーとして楽しく生きる―発達障害はよくなります!―』風雲舎

一週間お疲れ様でした。

今日も15時くらいにやることが無くなって早く帰りたいなーなんて思っていたのですが、17時くらいに仕事が舞い込んできてなんやかんやで20時まで仕事してました。

 

仕事任されるとメンタル弱るし、仕事の進め方わからないしでいいことないんですが、仕事なければないで、自分て入社当時とかわらんなーとなって少し落ち込みます。

仕事ってむずかしい。。。

ちなみに今やっている仕事にやりがいはないです(だから、最近やる気ない)。まあ、でも巡り巡って誰かのためになると思ってやっておきましょう。。。

 

さて、タイトルの本アスペルガーとして楽しく生きる』ですが、以前から一度紹介したいと思っていました。ついに記事にする時がきました。

過去に一度だけ記事の中で引用してます。↓↓

fecunditatis.hatenablog.com

 

この本は確か就活を始める少し前に手に取った気がします。それ以来ある部分だけを何度も読み返し、勇気をもらっていました。

今日はその繰り返し読んだある部分を紹介しようと思います。

ちなみに著者の方は少しスピリチュアルなことが好きなようで、そこそこスピリチュアル関連の話が多いです。ですので馴染まない方は馴染まないかもしれません。

ただ、スピリチュアルに関する記載は眉唾ものだとしても、アスペルガーに関する記述は科学的根拠に拠っていて信頼のできる本だと思います。

実際、本書にも著者の方がアスペルガーの症状を改善させるのに「精神論、観念論、スピリチュアリズムは扱わない」方針とした旨、記載されています。

本書にも書かれている通り、アスペルガーの方は「哲学や根源的思考を好」んだり、「神秘主義を好」んだりするようですので、著者の方が、根源的思考が高じてスピリチュアル関連に傾倒していったことは理解できるかと思います。

 

アスペルガーに関しては、「心の病気ではなく、脳の器質障害」(要は脳の機能障害)であるとして、食事療法や身体を鍛えることなど改善策が具体的に記述されています。

箇条書きすると以下の通りです。

  1. 生理学に基づいた健康法
  2. 環境を変えることで行動を変える(環境圧力)
  3. 行動を変えれば心も変わる(行動療法)
  4. ものごとを正しく受け止める(認知療法
  5. 体を鍛える(肉体強化)
  6. 具体的に生活の中に取り入れる(習慣化)

詳細は本書を参照してください。

さて、私が気に入って何度も読み返した箇所なんですが、それはアスペルガーの長所を紹介したところです。アスペルガーの長所は以下の点が挙げられています。

  1. 論理構築が得意
  2. 社会通念に対する意識が高い
  3. 意志力、継続力、習慣化力が強い
  4. 知識欲が強い
  5. 使命感が強い
  6. 純粋、素直な人が多い
  7. 他者に優しく、親切である

落ち込んでいるときはここの部分を読み返し、「そうそう!自分にもいいとこある!」と自分を褒めていました。辛いときぐらい自惚れたっていいでしょう!

知識欲については以下のように書かれています。

 アスペルガーは、あらゆる方面の知識を貪欲に求めます。これは、自分の人生が転落していくという恐怖感を常に抱いているからです。また、「自分は浮いている、このままでは生きていけない」という強迫観念に囚われているので、そうならないように「自分は変わらなければいけない」といつも追いつめられた状態にあります。

(中略)

アスペルガーは、知識を収集する過程で自分の抱えている問題を解決したら、その解決方法をたちまち論理的に構築します。それをマニュアル化して提供することもできるので、そこを上手に生かせば他の人の人生を豊かにしていくことができるというわけです。

自分の知識欲は純粋な知識欲であって、全てがネガティブな感情に起因しているとは思いませんが、私も知識欲は強い方だと思っているので、よくこの箇所を読んでいました。

それに、上記のように自分の知識欲を活かして人の役に立てたらどんなにいいことだろうとも思います。人に喜んでもらえたら、それだけで社会に参画していることを実感できるのではないかと思います。

やはり、この歳までになってしまったら、短所を伸ばすより、長所を伸ばすしかないですよね。自分の長所については自惚れるだけ自惚れて伸ばしていくのがいいと思います。

 

この長所が紹介されている第四章の最後も気に入っています。アスペルガーよ、社会に出よう」とのことです。

なんだか背中を押してくれているようで勇気をもらえます。

 しかし、時代とともに企業の在り方も変わってきました。会社に属する意味が徐々に薄れていき、個人の技量、力量が問われる社会になってきたのです。

 これは、今までの社会の隅であがいていたアスペルガーにとって、大きな朗報です。

(中略)

 これまでの年功序列、終身雇用制の会社のシステムは大きく崩れはじめています。これまでの状態をキープするための守りの経営では生き残れないとか、より積極的に収益を上げるための攻めの経営に切り替える必要が出てきたのです。それにともなって、企業が求める人材も、これまでのゼネラリストからスペシャリストへシフトしてきました。

 これは、才能が一点に集中しているアスペルガーにとって、うってつけの事態です。

 正直、会社に頼らず生きていくのは、それはそれで難しい場合もあると思いますが、より個人の力が注目される時代になってきているとのことで、アスペルガーにも活躍する場があるとのことでした。

気になった方、ぜひ読んでみて下さい。

アスペルガーに関してはこんな記事も書いています。↓↓

fecunditatis.hatenablog.com

fecunditatis.hatenablog.com

 今日は以上!

6/18の不安:コロナが収束して日常に戻るのが憂鬱って人いると思う(視線そらし攻撃がつらい。)

一日お疲れ様でした。

今日は15時くらいにほぼやる事が無くなって、今日は珍しく爆速で帰ってきました。

すごい。18時半に会社を出ました。

まあ、たまにはこういう日があってもよいと思います。

先週はめちゃくちゃ忙しかったですし、今日も午前中は社外の方とWEB会議だったので朝は少し憂鬱でした。

日程調整から、資料作成、WEB会議のセッティング準備等々、全部自分でやりました。

「全部自分で」と書きましたが、自分に計画性、工程管理能力があると思わないで下さい。逐一上司から出される指示に従ったまでです。

まあ、それでも、打合せの進行どうしようかとか、準備不足で十分な打合せにならなかったらどうしようとか色々考えて不安ではありました。

ですが、杞憂でした。

作った資料はほとんど見られることなく、上司が一人で喋って進めてくれたので助かりました。

以前、記事に書いた「あれ、終わった?」と聞かれていた仕事も昨日の夕方に片付けましたし、久々に暇になりました。

fecunditatis.hatenablog.com

 

よかった。よかった。

ただ、最近思うのはコロナが収束してきて会社に再び人が戻ったことによって少し憂鬱に感じる瞬間が多くなってきたなーということです。

どういうことかというと、単純に人が多いので、お昼ご飯に行く途中のエレベーターで中途半端に知り合いの方と一緒になっちゃったりして気まずいということです。

それに意外と心にくるのは、仲が良くも悪くもない同期がすれ違う時にあからさまに視線をそらして自分の存在を無視してくることです。

まあ、私自身が同期に興味ないので、特に話したいこともないのですが、存在を無視されるということが、本能的にストレスになるような気がします。

私はよっ友(よっ友とは、すれ違いざまに「よっ!」と挨拶するだけの関係の友人、というか知り合い)でも「よっ!」ぐらいは言いたい人間なので、最近その視線そらし攻撃にやたらと遭遇して病みかけています。。。

まあ、気にすることじゃないんですけど。

人に嫌われることは自然なことですよ!(言い聞かせ)

fecunditatis.hatenablog.com

 

まあ、そういうわけでタイトルの話になるんですよね。

私以外にも日常が戻ることが憂鬱な方いらっしゃるんじゃないでしょうか。

三島由紀夫仮面の告白』から、主人公が戦争の終わりに降伏申入れの宣伝ビラを見て戦争が終わることを理解すると同時にある事実について了解するシーンを以下に引用します。

仮面の告白 (新潮文庫)
 

  私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。

戦争が終わる事よりも「日常生活」が始まる事の方が恐ろしかったんですね。。。

学生の頃はやたらとこういう文章が自分を惹きつけました。

 

なんか、もうちょっと、さらっとした人との接触の時に軽くお喋りできたりするといいのになーと思います。

それでも前より深く悩まなくなったのはいいことだと思います。

昔は動悸がし出すし、顔ひきつるし、どもるしで身動きが取れませんでした。寮生活という荒療治で治ったのかも。

 

ちなみに、今日は久しぶりに親と電話しました。

父の日が近いということで「おウチでマジ牛タン」プレゼントしました。父親がお肉好きなので。。。

母から「ボーナスのないお父さんへの施しですか?」と返事がきました。

sggk.shop

注文殺到して在庫がないみたいですね。

私も5月末に注文して2週間以上たってようやく親の元へ届きました。

以前は親が自分を生んだ理由がわからなかったし、親の存在自体が鬱陶しかったので、贈り物とか考えられなかったのですが、徐々に深く考えないようになりました。

ここらへん、自分の気持ちを分析しようとは思いません。

ということで今日は以上!

6/17の不安:品川裕香『「働く」ために必要なこと―就労不安にならないために―』ちくまプリマ―新書

『「働く」ために必要なこと』斜め読みしました。

 ちくまプリマ-新書です。若者向けに創刊されたレーベルですね。

Wikipediaによると「プリマー(primer)が「初歩読本、入門書」を意味する通り、ヤングアダルトを対象とした新書である。 」とのことです。

昨日深夜徘徊をしながら、生きづらさを感じている学生のために、就職についての記事を書こうと思い至りました。

それで、就活当時の自分は何を考えていただろうかと、当時読んでいた本を手に取りました。正直当時もあまり読み込んだ記憶はありません。ただ、何かの参考になるかもしれないと就職してからもずっとそばに置いていたのでした。

本書には「発達障害」などといった言葉は一切出てきません(私が目を通した限りでは)。しかしながら、就労不安定となったケースに登場する人物の描写には、発達障害を匂わす記述が目立ちました。

実際、著者のプロフィールには以下のような記載がありましたので、ある程度意識して書かれたところはあると思います。

教育ジャーナリスト。扶桑社の編集者を経て独立。いじめ、不登校、虐待やLD、ADHDアスペルガー症候群など特別支援教育、矯正教育に詳しい。

恐らく、発達障害であることに自覚がない中高生や大学生向けに書かれているのだと思います。なので、すでに自覚があってそれなりの自己分析ができている方にとっては有利となる情報は多くないかもしれません。

それでも、他の人の状況や教育現場、大学の就職支援の現状については勉強になるかと思います。気になる方は手に取ってみて下さい。

以下に、気になった箇所、、、斜め読みですので、ある程度目に留まったところだけ掻い摘んでコメントしていきます。

 

気になった箇所①

序章によく考えれば当たり前のことが書かれています。

 これらの調査結果が意味することは何かというと、

「仕事に定着したいなら、学校を卒業するときに正社員になり、その会社で四年以上働いて経験を積んでから離職転職を考えたほうがいい。就職しても仕事や会社が合わなければさっさと辞めて次を探せばいい、とか、いったんフリーターやニートになってやりたいことを見つけてから正社員になればいい、という方法は未経験者には現実的にかなり無理があり、基本的にその後の就職は困難を極める」ということ。

それでもやはり就職して3年以内の流動率は高いですし、一度就職したならまだいい方で、卒業後にブランクが空いてしまう方も一定数いるようです。

私は幸いにも一つの会社に拾って頂き、最悪ここの会社で人生を全うしても悪くはないと思えているので、幸せな方だと思います。

せっかく就職したのに迷いが生じてしまったら辛いですよね。それがいい方向に進めばいいですが。。。

 

気になった箇所②

会社の上司が「今頃の若者は。。。」となって、新人が「会社が悪い」と言って、お互いの言い分が噛み合わない現象については、以下のような分析がされていました。

社会人になる準備ができていない若者たちが、学校を出て企業に雇われると、

→企業は、彼らを戦力になるよう育てようと考えるが、想定外のところでトラブルが続き、

→結果的に彼らを持てあますことになってしまい、

→最終的には「若者がデメリットを受ける」ことになる、

なるほど。。。という感じですね。「社会人になる準備ができていない若者」はグサッときます。私個人としては若者と上司とでは生まれた年代が違って価値観が異なるので、多様性ということで多めに見てほしいなって思います(甘えですか?)。

 

気になった箇所③

「社会人になる準備ができていない若者」に関連して以下のような記載も見かけました。大学のキャリアセンターの方のコメントです。

「大学生の就業力教育支援事業そのものを否定するつもりはまったくありません。ですが、国立大学で『「オトナ」力の養成』だの、『自ら考え判断できる』だの、『巣立ちプログラム』だの言っていることに、学生はもちろん、保護者も疑問を思わないことに、僕は違和感を覚えるのです。こういった力は最高学府に行く前の段階で身につけておくべきことです。(以下、略)」

 大学が就職予備校となっていること、大学に入る前に人としての土台ができていないことの原因は小学校・中学校・高校のキャリア教育にあるのではないか?ということでこの後の議論が進められていきます。

しかし、私はこれは今の時代しようがないことなのではないかと思います。

一つには、近年徐々に平均寿命が延びていて人生が冗長になっていることが、人としての土台形成が大学生の年頃までに不十分になっている理由として挙げられると思います。

www.nikkei.com

寿命が短い時代ほど老いるのは早く、その分精神的にも老いるスピードも速かったとすると、寿命が長くなった現代は、ただ人生が間延びしていて、早くに精神的自立を果たすことが困難になってきている時代なのではないかと考えられます。

また、下記書籍『「若者」をやめて、「大人」を始める』では、現代は大人になることが個人の自由意思に委ねられた時代であると書かれています。

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?

  • 作者:熊代亨
  • 発売日: 2018/02/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 郊外や都市部の大半では、地域社会への参加は昔のような強制力を持っていません。通過儀礼もなくなってしまいました。一応、成人式という通過儀礼”らしきもの”は残ってはいますが、成人式への参加は個人の自由に委ねられていますし、参加したからといって、周囲の見る目や自分の自覚が変わる人は一握りにすぎません。

 地域社会という、人を強制的に「大人」にしてしまうシステムが希薄になったことによって、私たちは、好きなように歳を取れるようになりました。

そして、もう一つ、そもそも大学入学の年齢が早いというのも理由として考えられます。

昔の大学制度については詳しいことは全くわかりませんが、明治時代は大学入学の歳がもっと遅かったのではないでしょうか。

青春小説の金字塔である夏目漱石著『三四郎』は三四郎が大学に入学して上京するところから物語は始まりますが、この時三四郎は23歳です。以下、序盤のシーンです。

三四郎

三四郎

 

  三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女の所へ行って全く困ってしまった。

現代であれば、大学を卒業して働いている年齢です。

まあ、時代が時代なので、この頃の大学生は本当のエリートで今とは状況が異なるのかもしれませんが。。。

そんなわけで、現代では大学生の年齢で十分に人格形成することが追い付かず、大学が就職予備校となってしまうのもしょうがないことなのではないかと思うのでした。

 

ちなみに。。。

ちなみに、大学が就職予備校となっているそもそもの原因とされた中高生のキャリア教育に関しては、以下のようにコメントされています。

 社会で不適応を起こさないためには何が必要なのかという認識は、ほぼ全員があやふやでした。コミュニケーション能力や協調性などをあげる人はそれなりにいましたが、その定義も千差万別。

(中略)

 それよりも、たいていの中高生の関心は、その職業に就くために資格をとらなければならない、英会話をやらなければならない、いい大学に行かなければならないなど、目先の技術やノウハウをどう獲得するかにあったのが印象的でした。

これには納得しますし、教育制度にも問題があると思います。最近、学校で求められる能力と社会で求められる能力が違い過ぎるというようなツイートが話題になっていましたが、私も教育制度による被害者の一人だと思っています←

あれこれ言っても埒があかないので、自分で自分を教育していく他に仕方がないのですが。。。

本書では、自立するための「武器」を獲得しよう!ということで、一つの解決案が示されています。その「武器」とは何かというと「人とつながる力」です。

。。。。

身も蓋もないというか。。。それで悩んでいるので、わかってるわ!!!という叫びが聞こえてきそうですが、結局本当にそれに尽きるのかもしれません。

私は大学は個人があらゆる社会実験を行う場だと考えています。が、この社会実験というのは「社会」という言葉がある通り、人と繋がらないと実験できないんですよね。

だから、社会性がないと(1対1の繋がりはふれ合いで、3人以上の繋がりが社会です。)、大学というポテンシャルを活かしきれないと思います。

だから入学前に社会性を身につけるというのは確かにあることなのかもしれません。

私は今やっと人との繋がり方がぼんやりわかってきたくらいで、大学のポテンシャルは活かしきれませんでした。それが心残りです。

ですから、今大学入学前のお子さんをお持ちの親御さんはそこら辺を念頭に教育して頂きたいなと勝手ながら思っています(何様)。

今後、私の経験も踏まえて、じゃあ、結局アスペルガーってどんな仕事に就いたらいいのか??みたいなところで記事を書けたらいいなと思っています(一つの業界、一つの会社しか知りませんが)。

働くこと、社会との繋がりに関してはこんな記事も書きました。何かの参考になれば。

fecunditatis.hatenablog.com

 今日は以上!

6/16の不安:三島由紀夫『太陽と鉄』再読中。。。次はトーマス・マンの魔の山を登る!

一日お疲れ様でした。

今日は特に問題もなく過ごせました。

気に掛かったことは、強いて言えば、上司が私の作った資料の確認中に大きく溜め息をついたことです。

「資料あとで見とくから机に置いといて」と言われ、そっと置いておいたのですが、その数分後に「はあ〜」とクソデカ溜め息が聞こえてきました。

まさかとは思ったのですが、そのまさかでした。私の資料見てました。ぐぬぬ

思ったよりも大きく直されて返ってきました。。。

それで、話は変わって、、、今は会社から帰ってきているのですが、帰ってきてからは三島由紀夫『太陽と鉄』再読しています。

太陽と鉄 (中公文庫)

太陽と鉄 (中公文庫)

 

 『太陽と鉄』は「どうしても小説という客観的芸術ジャンルでは表現しにくいもののもろもろの堆積」を表白するために「告白と批評との中間形態」をとった三島由紀夫の評論になります。

これを読めば「自分のやることは全部わかる」と三島が豪語しています。

はじめ読んだときはさっぱり内容が頭に入ってこなかったのですが、4回、5回と繰り返し読むうちに何となくわかってきました。

まだ哲学の用語や、古い文献の内容を念頭に置いたような文章については、バックボーンを知らないので理解できません。

ただ、三島由紀夫の、青年時代に置いてきた想いを回収しようとするその切なさ、熱い思いが伝わってくるようで時々胸が締め付けられるような気がします。

すべてが回収可能だという理論が私の裡に生まれていた。時と共に刻々と成長し、又、刻々と衰えるところの、「時」に閉じ込められた囚人である筈の肉体でさえ、回収可能であることが証明されたのだから、「時」そのものが回収可能だという考えが生じてもふしぎはない。

三島由紀夫は輪廻転生がテーマとなった長編小説を最後に書いて自殺してしまいます。時間や生まれ変わりについて特別な考えを持っていたのかもしれませんね。

 

 何という皮肉であろう。そもそもそのような、明日というもののない、大破局の熱い牛乳の皮がなみなみと湛えられた茶碗の縁を覆うていたあの時代には、私はその牛乳を呑み干す資格を与えられていず、その後の永い練磨によって、私が完全な資格を取得して還って来たときには、すでに牛乳は誰かに呑み干されたあとであり、冷えた茶碗は底をあわらし、私はすでに四十歳を超えていたのだった。

破局の熱い牛乳を飲むとは、「悲劇的世界」に住むことによる「幸福」に浴することを表しているのだと思います。

「完全に未来を欠いた世界」に「住む資格を完全に取得したという喜び」が「私の幸福の根拠だった」と書かれていますので、十分な肉体を持った上で、特攻隊のように英雄的な死を遂げることが決まっている状態になることを望んでいたんですね。

※三島は胃弱体質であったため、身体検査で落とされて徴兵されませんでした。

 

私の死への浪漫的衝動が実現の機会を持たなかったのは、実に簡単な理由、つまり肉体的条件が不備のためだったと信じていた。浪漫主義的な悲壮な死のためには、強い彫刻的な筋肉が必須のものであり、もし柔弱な贅肉が死に直面するならば、そこには滑稽なそぐわなさがあるばかりだと思われた。

 悲壮的な死のためには彫刻的な肉体が必要であることが記されています。

 

しかも集団に融け込むだけの肉体的な能力に欠け、そのおかげでいつも集団から拒否されるように感じていた私の、自分を何とか正当化しようという欲求が、言葉の習練を積ませたのであるから、そのような言葉が集団の意味するものを、たえず忌避しようとしたのは当然である。

 三島ほどではないかもしれませんが、これはよくわかります。私も幼少期から身体が弱く運動神経もありませんでしたので、皆と球技等で遊ぶことはできませんでした。なんとなくあのただ呆然とスポーツを楽しんでいるクラスの人たちを眺めている時の孤独な感じを思い出させる文章です。

 

力の行使、その疲労、その汗、その涙、その血が、神輿担ぎの等しく仰ぐ、動揺常なき神聖な青空を私の目に見せ、「私は皆と同じだ」という栄光の源をなすことに気づいたとき、すでに私は、言葉があのように私を押し込めていた個性の閾を踏み越えて、集団の意味に目ざめる日のことを、はるかに予見していたのかもしれない。

 孤独だったんですね。「私は皆と同じ」というただそれだけのことに喜びを感じる40代の三島を想像したらかわいらしく思えてくるのは、それだけ、単純だけれども叶え難い思いをずっと幼い頃から引きずってきたからなのだと思います。

 

私もなんだか消化しきれない思いを抱えています。大人になった今からでもあの時の気持ちを回収できる方法のヒントがこの本には書かれているのではないかと思って繰り返し読んでいる次第です。

文庫本100ページほどですが、中身が濃いです。

生と死、精神と肉体、言葉と筋肉、文と武、、、あらゆることが二元論的に語られています。

どうやらこの二元論的な考えはドイツの小説家トーマス・マンに影響を受けているみたいですね。(以下、孫引きになって恐縮です。髙山秀三「三島由紀夫教養小説―『鏡子の家』VS『魔の山』」)

マンには、ぼくはやはり、影響を受けていますね。つまり、マンによってはじめて、正当な二元論にぶつかったのだと思う。日本人というのは、二元論というのは嫌いですから。みんな、あいだをソフト・フォーカスでつなげてしまいますね。だから、晴れと雨とのはっきりした境界がなくて、ずうっと雲と霧でつながっている。そういうものとはまるで違う、西欧的二元論の影響をはじめて受けたのは、ぼくは、マンを通じてだと思うのです。芸術と生活、その他、いろいろな形の二元論ですね。それが、小説の世界の、ドラマの要素を強める、大きな影響だと思いますが。(「三島文学の背景」(三島由紀夫全集40巻635頁) )

 

より「太陽と鉄」を、三島由紀夫を理解するにはトーマス・マンを読む必要があるわけです。学生時代にここまでは理解していましたが、マンは読んでませんでした。はやり避けては通れなさそうです。

社会人になってから、トニオ・クレーゲルは読んだはずなんですが、全く記憶に残っていません。

というわけで、「トニオ・クレーゲル」→「ベニスに死す」→「魔の山の順で読んでいく予定です。

ちなみにトニオ・クレーゲルは北杜夫ペンネームの由来になってますよ。

魔の山(上)(新潮文庫)

魔の山(上)(新潮文庫)

 

 

今日は以上!

6/15の不安:『林修の仕事原論』青春出版社

一日お疲れ様でした。

昨日しっかり寝たはずなのに疲れが取れていなくて朝から早く帰りたいなーと思ったまま一日を過ごしました。つらかった。

それに午前中に終わらせようと思っていたことも、急な問い合わせが2件も入ってその対応に追われていたので計画通りにはいきませんでした。

ほんとはそういう予想外の予定も加味しておかないといけないですよね。

『「時間」と「空間」を支配してトラブルを回避』すべしって林修先生が言ってました。

林修の仕事原論

林修の仕事原論

 

 まあ、なかなか難しいと思うけど。。。

それで、午前中までに終わらせようと思っていたことは16時頃までパソコンの前でカチャカチャやって何とか終わらせました。

それでももう一つ急ぎの件がありました。

それは先週、担当の方から「あれ、終わった??」と聞かれたものでした。まだ全然やってません。

今日、またその方が私の席の近くを通りました。声を掛けてくるのではないかという危機感を感じたので、眉間にしわを寄せてパソコンの画面を睨み、あたかも重要な問題について考え込んでいるような振りをして回避しました(これはしょうがない)。

定時以降もそれなりに集中して取り組んだのですが、直属の上司から帰るように言われている20時になってしましました。

終わってなーいと思いつつ、、その担当の方の目に留まらないようにそそくさと会社から逃げてきました。

明日頑張ります。。。

せっかくなんで、私が上記の『林修の仕事原論』読んで当時書き込んだAmazonのレビュー載せておきます(一部加筆)。

最近、仕事向いてないかなと悩んでいたのと、林修さんの著書ということで買ってしまいました。
どなたかがコメントに書いていた通り、古典でも読んだ方がマシかとも思いましたが、1時間程度でサクッと読めて林修さんの考え方に触れることが出来たので買ってよかったかと思います。(古典は古典で本書の中でもおすすめされていますが、腰を据えないとなかなか読めないので。。。)
見開きの「はじめに」から興味深い問題提起?話題の提供?がされていて、その読者を惹きつける力はさすがだと思いました。教養と語彙力がないとあの「はじめに」は書けません。

①Part1「仕事といかに向き合うか」
Part1「仕事といかに向き合うか」では、「一流を目指す」、「個人で勝負できる組織人たれ」といったような言葉が頭に残りました。当たり前のことかもしれませんが、やはり何か突出した武器がないと組織の中では埋もれてしまいますし、「自分の価値を低く見積もってはいけません。」ということで背中を押された気になりました。

②Part2「必ず結果を出す人の対人力」
Part2「必ず結果を出す人の対人力」は、あまり自分には響きませんでした。相手の期待値を超えるとか相手のことをよく観察するといった内容でした。自分にあまり響かなかったのは、たぶんに自分がそもそも人のことを考える余裕がなく、そういった対人的なノウハウを受け入れる、自分の中に取り込む術を知らないからだと思います。

③Part3「すべてを勝ち負けで考える」
Part3「すべてを勝ち負けで考える」では、「一発逆転が必要な状況を作らない」「圧倒的な戦力差をつくる」とか「お金は手段であって目的ではない」といった言葉が頭に残りました。「今にみていろよ!!」という気概を持つことは重要ですが、そういうような逆転しなければならないような状況を作らないことが肝心とのことでした。お金に関しては、私自身が貧乏な家庭の出なのでお金を持っている人の考え方が勉強になりました。

④Part4「自己演出と自己管理の方法」
Part4「自己演出と自己管理の方法」は他の章に比べて個人的に印象に残った章が多くありました。「時間と空間を支配してトラブルを回避する」「座右の書を見つける」等々。。。谷崎潤一郎永井荷風のエピソードや『戦略的思考とは何か』が座右の書の一つであるなど面白く読めました。
一部ストイックなことも書いてはありますが、資本主義というシステムの中で競争を強いられている以上、またお金をもらっているプロである以上、やむを得ないことなのだと思います。
また「はじめに」と「おわりに」にも書いてある通り、本書は、林修さんが読者にああした方がいい、こうした方がいいと価値観を押し付けるものではなく、こういう考え方もあるよねという「考えるヒント」(これは小林秀雄かな?)を与えるものだということです。仕事観というものは、自分で考えて構築していくことが大事で、安易なマニュアル本を読んでどうにかなるものではないとのことでした。
私は普段から自分の考えというものに自信が持てませんが、結局は自分で考える力を養って、仕事で成果を上げることによって、プライドを持ち、自分の仕事観を構築していくしかないのだと理解しました。自分の考えに自信がないのは結局は未だに仕事で成果を上げたという実感が足りないからだと思います。
まあ、まだ自分の中で処理できていない部分はありますが、時間あるときに読み直して考え直したいと思います。確かに考える材料にはなりました。
「はじめに」と「おわりに」があって初めて本書が成立しているのであって、本文は単なる?自己啓発本であるので☆4つです。
仕事で悩まれている若い方はぜひ。

要は自己啓発本なんて読んでないで自分の頭で考えろってことですね。自己矛盾した良い本でした(おすすめします!)。

 

そういえば話変わりますが、昨日Twitter平凡社別冊太陽編集部さんの公式アカウントにいいねしてもらいました。ありがとうございます。

fecunditatis.hatenablog.com

 

以前は下記記事について丸善出版営業部さんにいいねしてもらったこともあります。

fecunditatis.hatenablog.com

 出版業界の方に認めてもらえたようでうれしく思います。

これからも本は買い続けるし、ブログの記事も頑張って更新続けよう。。。

今日は以上!

6/14の不安:『作家の猫』コロナ・ブックス

学生の頃にお金がなくて買うのを諦めた本を思い出してAmazonで購入しました。

タイトルの作家の猫です。夏目漱石佐藤春夫谷崎潤一郎三島由紀夫等の作家の飼っていた猫の写真とコラムがいくつか載っています。

作家の猫 (コロナ・ブックス)

作家の猫 (コロナ・ブックス)

 

 表紙の猫かわ∃。中島らもの猫らしいです。

この本の三島由紀夫の写真もいいんですよね~。

書斎でたばこをふかしている三島と見つめ合っている猫。。。

写真載せたいですが、著作権の関係がありそうなので諦めます。

気になる方はググるか、購入してみて下さい!

いつの時代も猫と人間の関係性って変わらないんですねー。よき。

その他気になった箇所は以下の通りです。

夏目漱石

夏目漱石の妻、鏡子夫人の孫にあたる夏目房之介さんのコラムが掲載されています。

以下、引用です。

 漱石は猫の小説は書いたし、猫を描いた画も残っているけれど、どこにも「猫が好きだ」とは書いていない。

(中略)

昔の人は動物は家畜、という考えですから。名前もつけなかったし、書斎に入ってきても放っておく、とか、そんな感じでしょう。

吾輩は猫である。名前はまだない。。。。となる理由がわかりますね。なるほど~と思いました。なんやかんやで本好きを自称しながら「吾輩は猫である」読んだことなかったので、最近寝る前に読んでます。

吾輩は猫である

吾輩は猫である

 

 

南方熊楠

南方熊楠についてはこのブログの一番初めに記事を書きました。変わってる人ですよね。

fecunditatis.hatenablog.com

どんな写真が載っているのかと期待していたのですが、生きた時代が古いこともあってか、本人および猫の写真はほぼ皆無でした。ちょっと残念。どうやら熊楠は猫を食べたことがあるらしい。。。

 

朝倉文夫

早稲田大学構内になる大隈重信像などの肖像彫刻を手掛けた方です。東京台東区に朝倉彫塑館があります。猫好きらしく猫をモチーフにした作品が多く、朝倉彫塑館の3階は「猫の間」となっているとのことです。

f:id:fecunditatis:20200614124054p:plain

写真は「台東区立朝倉彫塑館」HPより

朝倉彫塑館の存在は知っていましたが、足を運んだことはなかったんですよね。これを読んでから急に行きたくなりました。東京に住んでいるときに行けば良かった~(朝倉彫塑館は現在コロナの関係で休館中です_2020/6/14現在)。

www.taitocity.net

 

本好きで猫好きの方ぜひ。

ちなみに、猫の動画は以下がおすすめです。

スコスコぽこ太郎&うま次郎~猫ちゃんねる~

ぽこ太郎がよく飼い主(美人)に抱っこされているのですが、その丸く収まっている姿を見ると癒されます。。。

www.youtube.com

 

おすずタイムズ

主さんがおもしろい。声が独特なんですが、こちらも観てると癒されます。。。

www.youtube.com

今日は以上!

6/11の不安:打合せで緊張しました。

今日は午前と午後とで立て続けに協議でした。

しんどかった。

10人以上いる中で資料の説明をさせられたので、緊張しました。

協議に行く前は行けるぞ〜と意気込んでいたのですが、いざ喋り出したら頭がパニックになってしまって、普段と全く違うイントネーションが出てきたり、普段使い慣れてる専門用語が出てこなかったりして焦りました。

時間がおしていたので、要点だけ喋ってくれみたいな空気感だったのですが、それがダメでした。

私は頭から最後まで喋る順番を決めていたので臨機応変な対応はできません。

途中から要点をかい摘むのは諦めて計画していた通りに喋りました。

一つよかったのは人が多い中で声を張ることができたことです。

こういう時、社外の方は私が童顔なのに騙されて温かい目で見守ってくれることが多いのですが、もうそろそろ28になるんです。

童顔なのがいいのか、悪いのか。


ほんとは完璧にこなしたかったです。

自分の自信に繋げたかった。

惜しかったです。


昨日は資料作成に追われて会社を出たのが深夜3時でした。それもあって協議後はどっと疲れが押し寄せてきました。早く帰りたかったのですが、上司が早めに議事録作れよーというので、定時上がりはできませんでした。


加えて、打合せから帰るさ、上司も「長時間の協議で疲れたな〜」とボヤいていたので、早く帰るかと思われたのですが、17時近くに会社に戻るや否や早速コーヒーを飲み出したので、これはすぐに帰らないパターンのやつや!となって私も上司に合わせて空気読み残業をキメ込みました。


今はすでに帰宅したのですが、一つ大事な確認項目が漏れていたことに気づいてしまって、それでモヤモヤが晴れません。まあ、なんとかなるでしょう。


ほんと今週はきつかった。

明日は流しで仕事できるといいな。

ということで今日は以上です。