アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

8/5の不安:最近考えていること ②大学時代に生きている実感が薄かったこと

昨日の続き。

②大学時代に生きている実感が薄かったこと。

最近よく学生時代のことを思い出す。大学時代6年間はなんだか生きていた実感が希薄で、その間だけぽっかりと時間が空いているような感覚がする。高校の頃の自分と大学時代の自分と今の社会人になってからの自分が連続していないような気がする。他の人もそんな感じなのだろうか。

もう過ぎ去った時間なのだから別にどうしようもないのだけれど、やはりその大学時代だけがぽっかりと抜け落ちているような気がして、なんとかその穴、隙間を埋めたいような思いに駆られることがある。

人生の夏休みと呼ばれる時間を自分も学費を払って(親のすねを齧って)過ごしたのだけれど、それが自分の中で最高の時間とならなかったのが、腑に落ちない。

確かに、大学時代の全部が腑抜けた時間だったわけではない。交友関係が狭かったとは言え、それなりにたくさん旅行もしたし、親友と呼べる友人もできた。これを考えれば贅沢を言っているようになるが、自分の中で消化不良を起こしているのもまた事実だと思う。

なぜ生きている実感が少なかったかといえば、理由はいくつかあると思う。

簡単なところからいうと、まず自分が過ごした大学は行きたい大学ではなかった。

それだからして、入学してから自分がなぜそこにいるのかがわからなかった。どうして今見ている景色を自分が見ていることになっているのかがわからなかった。とにかく何もかも不本意だった。

大学でいうと学科も自分が学びたい分野ではなかった。

本当は工業デザインのようなものが学びたかった。なんとか「環境デザイン」なるものに縋りついたが、蓋を開けてみれば、ただの土木工学科だった。

会社に入ってから実務を通して面白く感じているところもあるけれど、大学の講義はほんとうにつまらなかった。土木は経験工学でかっちりしていない。良いところを強いて言えば学問的に懐が深いところだと思う。どういうことかといえば、幅広い分野を包含する部分もあって、なんでもかんでも土木に結び付けようと思えばできると思う。土木は工学だけれども、建設費用のことを考えれば経済学が出てくるし、避難行動のことを考えれば心理学が出てくる。景観のことを考えれば民俗学・文学が出てくる。こういった具合に土木は色んな分野を包含しているから懐が深い。もともとデザイン系を学びたかったから、それと繋げて景観工学は少しだけ自分で齧ってみたこともあるけれど、それは学生になってからしばらく経ってからのことだった。

そして、腑抜けた時間となった原因は、学生時代多くを過ごした部活にもあると思う。

自分はとある運動部に所属していたけれど、運動は大嫌いだった。それでも、そのスポーツをいやいや続けてしまった。とにかく運動音痴であることがコンプレックスで、自分が運動をやっているという事実だけが欲しかった。

結局そのスポーツは社会人になっても続けて、全く上達しないし、自分が満足できないことを肚の底から実感してこの時にやっとやめる決心がついた。

なんであそこまで苦手なものをずっと続けていたのだろうかと今では不思議に思うこともあるけれど、コンプレックスというものはそれほどまでに自分に強く突き動かすものだ思う。三島由紀夫の『太陽と鉄』を読むとそれがよくわかる。

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部活動では、多くを共にした同期との過ごし方にも少し問題があったと思う。

彼らは、ゲーム(特にスマブラマリオカート)、ビリヤード、ボーリングが好きで、よくそれに付き合わされた(別に自分はいなくてもよかったが)。でも、自分はゲームとか身体を動かすものがほんとに嫌いだった。とにかく何でもうまくできない。

自分も自分でそれらを嗜むことが所謂大学生への道なのかとよく考えもせずそれらに多くの時間を費やした。はやり今考えてみるとああいった時間は心の底から喜べる時間ではなかったし、どれも自分にとっては必要のない時間だったと思う。

そして、もう一つ考えられるのが、自分にもともと主体性がなかったのが原因だと思う。

これは夏目漱石が『私の個人主義』という講演会の中でも言っていることなんだけれど、ただ浮き草のように流されて生きていたから、生きている実感が薄かったのだと思う(漱石はこうした生き方とロンドンの曇天とで所謂神経衰弱に陥ったらしい)。

(※「私の個人主義」は青空文庫で公開されている。以下に大事なところ引用しておこう。) 

この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。

 (中略)

私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 (中略)

それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。

 (中略)

あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。

 

 これが一番大きな理由だとは思うのだけれど、少し仕方ないとは思っている。自分は生まれつき保守的な性格だったし、どちらかというと貧乏な家庭だったから、あれが欲しいとか、これをやりたいとか言える環境ではなかった。

さいころ兄が卓球を習いたいと言って聞かなくてかなり怒られていたのを間近で見て、なぜ親を困らせることを兄は言うのだろうと考えていた時もあった。また、高校生の頃に無印良品の500円のカラーケースを欲しいとこぼしたところ、「あんたがそういうようなことを言う子だとは思っていなかった」とたった500円ばかしのことで悲しげな表情をされたことを今でも覚えている。とにかく親の顔色を窺うことが正だと思っていたし、やたら母親の言葉に縛られていたと思う。

それが急に大学生になって自由な時間を与えられても途方に暮れるのは当たり前だ。

それにアスペルガーは外界の刺激に対して反応するだけで自動的に生きる傾向が強いから、それも相まって大学生になってもやりたいことがわからずただ流されるままに生きることになったのだと思う。

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さらにもう一つ理由をあげると女の子との交流の絶対量が不足していたこともあると思う。これは今も大きく状況は変わらないから後悔しても仕方なし。来世に期待しよう。

ざっと上に書いた通り、自分は進むべき道も分からず主体性なくただ茫然と時間が過ぎるままに過ごしていたのが生きている実感が薄かった原因になると思う。

それならば、主体性をもって、自分がやりたいことをとことん突き詰めれば、この穴が少しでも塞がるのではないかと今は考えている。

進んできた道はもう変えようがないから、とにかく将来のことだけを考えよう。

アスペルガーはこだわりが強い。これまで自覚のあった部分に関してはそれを抑えよう抑えようとしてきたけれど、今度はそれを逆手にとって、自分のこだわりをもっと追及して自分らしさを取り戻してもいいのじゃないかと思っている。

漱石の言葉にも出てきている「こだわり」、三島由紀夫『青の時代』に出てきた「固執」、千葉雅也『勉強の哲学』に出てくる「享楽的なこだわり」。。。。

fecunditatis.hatenablog.com

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こういった自分の身体に根付いたこだわり(言葉じゃ説明できないけれど自分がやってみて妙に喜びにつながる何か)を突き詰めた先に自分が生きたという実感がつかめるのではないか。

今は、プラモデルを作ったり、勉強したりしている時間がとても幸せに感じる。これをしばらく続けてみようと思う。

あとは一人でもいいからキャンプしてみたいな~

 

ちなみに、、、

本来進みたかった道から逸れた人がその後、今の自分があるのはあの時の自分があったからとかなんとか言って、自分の進んできた道がベストだったと結論付けたりするのはどうかと思っている。

進みたかった道が本当はベストだけれど、今の自分の進んできた道もそれはそれでよかったと思う(ベストではないかもしれないけれどベターだ)、というのが正しい。

なぜなら、本来進みたかった道を否定して、現在の自分を肯定するのは単なる自己合理化だし、明らかに欺瞞だと思うから。

将来のことに関しては「やってみなきゃわからない」というくせに、過去のことに関してはやっていないことは無視して、現状を肯定するのは早計だと思う。

聞いたことがあるのが、早稲田大学に進みたかったけれど、早稲田に進学していたら、今の職業にはついていないから、早稲田に行かなくてよかった、というものだけれど、それは違うと思う。

どう考えても、早稲田以下の中堅私立に進んでよかったとなることはない。

早稲田に進んでいたらそれはそれでいい結果を招いたかもしれないし、今の道がベストとは限らない。

例えば、森見登美彦の『四畳半神話大系』なんかだと、主人公が大学に入学してからのストーリーが平行世界でいくつも展開されているけれど、一概にどの世界線の主人公の人生がベストということにはなっていなかったと思う(うろ覚え)。

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過去についても同じでやってみなきゃわからないのだから、進みたかった道を否定することは間違っていると思う。

とにかく、人が自己合理化を伴う自己肯定、現状肯定をしているのを見るのも嫌だし、その手を自分に適用するのも嫌だと思っている。

自分は現状に満足しても過去を肯定することはしないつもり。

 

今日は以上!


※追記

学生の時、生きている実感が薄かったことを「現実に触れていない」と表現していたのだった。

ただし、自分が現実に触れていないという時、それは単に人との接触が少ないこと、要は孤独であったことを意味するのだった。

人と触れ合う事が生きることでもあるだろうと思う。

8/4の不安:最近考えていること ①なぜ親は自分を産んだのか。

最近ずっと過去のことを思い返しては、あれはああだった、これはこうだったと整理しようとするきらいがある。

ほんとは過去のことなんて考えないで将来のことを考えるべきなんだけど、、、

あれこれ考えても堂々巡りするばかりだからとりあえずここに書き出して形にしようかと思う。

ちなみに、思考は堂々巡りしているだけだから、特に結論とか言いたいことはあまりない。

それで考えていることというのは大きく分けて二つある。一つはなぜ親は自分を生んだのかということ。もう一つは大学時代に生きているという実感が薄かったということ。

今日は一つ目のなぜ親は自分を産んだのかということについて書こうと思う。

①なぜ親は自分を産んだのか

最近時間があると、なぜ親は自分を生んだのだろうかと考えてしまう。なぜ、そう考えてしまうのかというと、自分自身があまり子供を産むことについていいイメージを持っていないからだ。それに未だに生まれたことに喜びを見出せていないし、当の親もそこまで幸せそうには見えないから、というのもある。

子供を持つことを考えてそれが発展してなぜ親は自分を産んだのかという考えに行き着いてしまう。

別に子供が嫌いなわけではない。

高校の同級生にはもう子供がいて何度か相手をさせてもらったことがあるけれど、ほんとにかわいいと思うし、ズボンによだれを垂らされてもなんとも思わない。

この子が将来どんな子に育つのか楽しみでもあるし、赤ちゃんというのは本当に可能性のかたまりだとも思う。

その一方で、自分は自分の遺伝子を持った子供がこの世に生まれてくるのが、少し恐ろしいことだと思っている。

(まあ、まだ彼女もいないのだし、気にすることではないのだけど。。。それでももう28歳なのだから自分が家族を持つことを視野にいれて活動するか、それとも一生独身を覚悟して活動するかは大きく方向性が異なってくることだから、考えて無駄なことではないと思う。それに自分とて、女の子に言い寄られたこともゼロではない。)

それで、自分はまだ自分のことを肯定できていないし、過去のことを思い出してみても、もう一度保育園、小学生から人生をやり直したいとも思わない。

だから、そんな生きても喜ばしくもない人生をもう一度子供に歩ませるというのは恐ろしいことだと思う。

それにたった数人でしか共有できない価値観を身内で共有して内輪で盛り上がるのもなんだかな。。。と思う。有象無象を増やして何になるのか。

そんなわけで、街中で決して人生とんとん拍子でやってきたわけではないであろう晩婚の夫婦が小さい子供を連れて歩いているのを見ると正直ぞっとする。

きっと、その二人にとっては子供を持つことが喜びだったんだろうけど、その生まれてきた子供に負担を負わせてはいやしないかい?と疑いの目を向けてしまう。

その子供は親二人の幸せのために犠牲になってこの世に生を受けたことにはならんかと。

人の血が通っていないと言われそうだけど、自分はそう考えてしまう。

自分の親も晩婚だったし、そのせいかどうか分からないけれど、自分は生まれつき病気を患って心臓の手術をしている。正直高齢出産にはいいイメージがない。

そう考えると、自分の親も含めて、苦労してきたであろう人たちに、本当に子供を産むことが自分の幸せなのかと改めて問いたい気になってくる。

自分が考えるに、自分の親が自分を生んだのは単に、当時「子供を産む」ということが当たり前だったから、だと思う。

当時は今ほど個人主義が強くなくて、大衆社会だったから、結婚して家を買って、子供を産むということが当たり前だったし、その当たり前から外れることは不幸を意味したんだと思う。

今の自分は人生が多様化した時代に生きているから、皆と一緒、マジョリティであることが幸せだったと勘違いしていた親、自分の幸せというものが社会的な価値観に左右されていた親の存在を思うと虫唾が走る思いがする。

晩婚の二人を見てぞっとするというのはそういう意味もある。本当に子供を持つことが幸せならそれでいいんだけれど、その幸せだと思っている考えが、本当に自分に根差したものなのか確認したい。子供を持つことが普通だから、その普通から外れたくないから、、、というのであれば、もっとしっかり考えてほしいと思う。

確かに子供をもつ理由というのは、単にそれだけでないことも分かっている。

以前も記事に書いた「機能快」の話をすると、人間にとっては自分の持っている能力を駆使することが根本的に快であるから、「子供を産む」という能力を持った女性にとって、子供を産むということが本能的に快であることは想像に難くない。ただこれは母親だけの問題だし、一番の理由にはならないであろうからここでは考えないことにする。それに本能に関わることだから、そういった点では親を責めるつもりはない。

それと介護の面倒を見る役割を担わせるというのもあるかと思う。これはかなり打算的ではあるけれど、わからなくもないからここでも親を責めることはしないことにする。

あとは、幼少期に温かい家庭で育ったから、自分もそのような家庭を持ちたい、というのがあると思う。

しかしながら、自分がぞっとすると言った家族からは「温かい家庭で育った」というような印象は受けない。

それに、これは自分の親にも当てはまらないと自分は考えている。

なぜなら、そんな人情味のあふれた親ではなかったし、そもそも親同士がそんなに仲良くなかったから。さらにいうと温かい家庭が再現されてはいなかったから。それが証拠に我が家には家族写真というものが一切なかった。

我が家は皆が皆それぞれを馬鹿にしていた家族だった。

母は父親のことを非難していたし、自分はそれを習って父と、それとずっと比較対象だった兄を批判していた。兄は自分のことを馬鹿にするし、父は一人、他人に無関心だった。

そんなわけで家族の「絆」とか、家族の「愛」といった言葉が似つかわしくない家庭で自分は生まれ育ったと思っている。

話が少しずれたけど、親が自分を産んだのは結局社会的な価値観に左右されただけだったのだと想像する。そんな本当の自分のこだわりとか喜びとは違うところに根付いている欲求で自分なんか産んでほしくない。

こうやって書いていて気付いたけれど、とにかく自分は親に自分を産んだ理由を説明してもらってそれが最適だったのか教えてもらうか、もしくは謝ってもらえば気が済むのだと思う。

こういうことを書くと、いい歳してとか、全部自己責任と言い出す人が少なからずいるけれど、自分の不都合を責任転嫁しないと心のバランスが保てない自分のことも少しわかってほしい。

まあ、自分の生まれてきた意味を親に問うてみたり、責任転嫁しようとしたりするのはまだ自分は精神的に自立できていないとうことを意味するのかどうかはまた考えてみることにする(多分遅れてきた反抗期)。

最後に昨日紹介したばかりの三島の戯曲『近代能楽集』の中の「邯鄲(かんたん)」から1シーンを引用しておく。

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 美女:ほーら、パパに会いに行こう、いいかい、泣いちゃだめだよ、パパはまだ子供のくせに、とても気むずかしいところがあるからね。(籠を次郎の床のそばへもってくる)ほーら、パパよ。パパ!見て頂戴。あたくしたちの最初の子供よ。

(中略)

次郎:僕と似た奴が生まれるなんて、ああいやだ。

美女:(悲鳴をあげる)あ、よして!

次郎:(枕もとの灰皿で籠の中を乱打しつゝ)こうしてやる、こうしてやる!

美女:よしてよ!何なさるの、よしてよ!

次郎:死んじゃった・・・

美女:坊や!可哀そうに、可哀そうに・・・

次郎:これでいいんだよ。こいつが生きていて大きくなると、いつかは親爺と似ていることを苦にしなきゃならない。みんながそいつをくりかえしてるんだ。

 夢オチなのでご安心を。。。。

明日時間があれば、二つ目の大学時代に生きている実感が薄かった件書く予定。

以上。

8/3の不安:三島由紀夫『近代能楽集』新潮文庫

久しぶりの更新となりました。

最近は娯楽で読書したりする時間を抑えているので、特に書くこともなくて放置したままになっていたのでした。

なぜ、娯楽の読書時間を抑えていたかというと本当にやりたいことに手を付けられないからです。

私は大学を卒業してから勉強したいと思っていることが6つくらいあります。

それを勉強しないことには自分は死んでも死にきれないと思っています(これだけが生きる希望)。

それにそれらを何とか20代のうちに押さえておきたいとも思っています。

勉強の内容は基本的に大学時代に学んだことの延長であったりして、その分野に全く無知なわけではないのでそこまで難しい計画ではないと思っていますが、「少年老い易く学なり難し(寸暇を惜しんで勉強せよ)」ということで、それなりに時間は掛かるかなと思っています。

最近はそのことに焦燥感を覚えてから勉強への身の入りが特にいいです。自分の調子が戻ってきている気がする。

自分がどの手順でどのように勉強するかはもう決めているので、あとはその計画通りに実行するだけです。

皆さんも一緒に勉強しませんか~。

 

三島由紀夫『近代能楽集』新潮文庫

さて、本題ですが、読書時間を抑えているといっておきながら、出張中の空いた時間に読んでしまいました。

近代能楽集 (新潮文庫)

近代能楽集 (新潮文庫)

 

学生時代に一度読んでいますので、再読です。

本書には三島が能楽にインスパイアされて作った「近代能」(恐らく現代劇)が収められています。

タイトルは少し難しそうですが、そんなことありません。

中身は戯曲なので劇の台本みたくなっています。

読むのに能に関する知識はいりませんし、セリフは多少昭和感はありますが、現代の言葉で書かれているので数時間でさくっと読めます。

中身はこんな感じ

  • 邯鄲(かんたん)
  • 綾の鼓(あやのつづみ)
  • 卒塔婆小町(そとばこまち)
  • 葵上(あおいのうえ)
  • 班女(はんじょ)
  • 道成寺(どうじょうじ)
  • 熊野(ゆや)
  • 弱法師(よろぼし)

この中で自分は卒塔婆小町が特に気に入っています。

愛と死と美がテーマになっている三島が一番好きそうな内容になっています。

あらすじはうまく伝えられません。。。Wikipedia読んでください。

近代能楽集 - Wikipedia

なぜ、これが一番おすすめかというと個人的な思い入れもあるからです。

学生の時にこれの舞台上演を見に行ったんですよね。

その時の衝撃が未だに頭を離れません。

主演は早乙女太一と松田由紀子でした。↓↓

f:id:fecunditatis:20200803212534j:plain

出典)http://office-saku.com/info/all/1019

・・・小町、君は美しい。世界中でいちばん美しい。一万年たったって、君の美しさは衰えやしない。

松田由紀子演じる老婆(見た目はぴちぴち)に美しいと言って早乙女太一演じる詩人は死んでしまうんですよね。。。というか「美しい」と言ったがために死んでしまうという。。。

ぜひ、卒塔婆小町だけでもいいので、読んでみてください!

女性の方とか気に入るんじゃないかなーと。女性は泉鏡花とかの戯曲の方がいいですかね?

今日は以上。

7/19の不安:三島由紀夫『青の時代』新潮文庫

目次

三島由紀夫『青の時代』新潮文庫

 タイトルの本読みましたー。

青の時代 (新潮文庫)

青の時代 (新潮文庫)

 

 『青の時代』は、『高利金融会社「光クラブ」を経営していた東大法学部三年の山崎晃嗣が、物価統制令銀行法違反に問われ、三百九十人の債権者と三千万円の債務を残して挫折、整理の結果、最後の三百万円が工面できずに、二十七歳の身に青酸カリをあおって自殺したという』実際にあった光クラブ事件を題材にした小説です(『』内は小説の解説より引用)。

三島由紀夫当時25歳での作品です。

正直、主人公の誠とその他の重要登場人物である愛宕(おたぎ)や燿子(てるこ)との問答が後半出てくるのですが、その内容はさっぱり理解できませんでした。想像以上に難解です。

仮面の告白』が書かれたのが24歳ですので、今更驚くことでもないのですが、どんな頭してるんや!という印象を受けました。

その他、二・二六事件、英雄主義、富士山の麓での強行軍の話、色白文学青年のゴーティエの話、戦後、共産党、法学、自殺、等々。。。。

小説に入っている要素は前にもどこかで聞いたことのある内容で、三島由紀夫らしさを感じました。

それに、ところどころいい得て妙な表現もあったりして面白く読めました。解説にもアフォリズム(格言)の切れ味がすごいと書かれています。

主人公・誠のアスペルガー的描写

 また、こじつけですが、前半の主人公の描写にはアスペルガー的な特徴が多く描かれていたように思いました。

三島由紀夫アスペルガーを関連付けた文章はあまり見かけないので、ここで持論をぶちまけておこうと思います。

以下に、無粋ですが、自分がそうではないかと思った箇所をただただ引用していきます。

まず、冒頭から主人公の誠には自然さが欠けていることが書かれています。

この子にはどことはなしに自然さが欠けているというかすかな懸念は、あんまり聡明ではない代わりに直感には秀でた母親の人知れぬ悩みの種子になった。

 

そして、この主人公の誠は幼少時に文房具店の軒先に吊り下げられている風を受けるとくるくる回る煙突ほどの大きさの鉛筆の模型を欲しがるのですが、これについても以下のように書かれています。

誠が他の子供と違っていた点は、手に入れて遊ぶのが目的で玩具の電気機関車をほしがるのと相違して、ボール紙細工の模型にすぎない大きな鉛筆を、目的もなく欲しがっていた点である。

 くるくると同じ運動をする物体にとらわれているところは、視覚情報が優位になっているからではないかと思いました。

 

そして、中学生になった頃、一人の女性が軍用トラックに轢き殺されてしまうシーンがあるのですが、誠は女性に対して何の共感もなくただ死体を観察するという少しサイコパスな一面を見せます。

すこしも感情を動かされないでこんな身の毛のよだつものを見ていられる自分を感じることが、快くもあったし、得意でもあったのである。

『こうして死ぬのだな。こうやって、指を赤ん坊のようにして・・・』

 誠は細大洩らさず観察して憶え込んだ。人間はどうやって死ぬものかという知識を習得した。

「自分を感じることが、」と書いてありますね。ベクトルが死人ではなく自分に向いているところがアスペルガーぽいのではないかと私は思います。

 

また中学時代にはルールに従順で真面目なところを買われてか、風紀係を務めます。

 誠は級長で風紀係を兼ねていたが、打見たところ彼以上の適任者は見当たらなかった。ズボンの筋も毎日明瞭なら、カラーも汚れていず、爪も伸びていなければ、頭もしじゅう青々と刈り込んでいる。

(中略)

 風紀係の誠は自分に負わされている道徳的な義務に半ばはまじめ緊張しながら、半ばは犯人から情事を根掘り葉掘りきき出してたのしむ刑事の知的享楽を学ぶにいたった。

 

そして優秀な高校に入学してからの描写は以下のようになっています。

 御多分にもれず誠もまた、入学匆々カント哲学に熱中したが、二十年間おんなじ帽子をかぶっていたこの哲学者は、毎朝かならず五時に起き、夕方には市民が時計の代わりにしたほど正確な時刻に散歩をした。

(中略)

 誠がカントかぶれの機械的な生活に固執したのは、知的探求というものは、合理的な生活を、つまり知識の合理的な体系の投影のような生活を要請し、それをわれわれを否応なしに道徳的にならしめると考えたからであったが、

(中略)

こんな生活法の固執は、早速彼を寮の共同生活のなかで、少しばかり孤独にさせた。「とっつきにくい」という批評が、いつかは誠の肩書になった。

服装に無頓着であったり、時間に正確であったり、固執的なところがあったりと、これらの特徴もアスペルガーぽいと言ってもいいのではないかと思います。

固執は「こだわり」とも言っていいと思いますが、最後はこだわりが過ぎて孤独になっちゃっていますね。。。。

 

その後、バーで知り合った女性に恋をするのですが、以下のように恋愛を成就させるための作戦(手順)を練ります。

  1. 彼女の名前を聞くこと
  2. 彼女に手紙を渡すこと
  3. 手紙の返事をもらいやすいために、最初の手紙は無邪気らしく見せかけること
  4. 手紙は三度まで無邪気に書き、安心させた上、散歩に誘うこと
  5. 一緒に映画を見に行くこと
  6. 四度目の手紙で仄めかしてやること

ところが、一つ目の「名前を聞くこと」が達せられない(本名を教えてくれない)ばかりに二つ目の計画に進めず、ひたすら名前を聞きまくってドン引きされるという事態に陥ります。

 ここらあたりから誠の人柄のユニークなところが彼の現実生活を左右するまでにいたるのだが、折苦心して立てた予定の第一項がすまないうちは、彼は臨機応変に第二項を先に片附けるという行き方ができなかった。そんな固執は試験の際などはもっとも歴然とあらわれて、かれは試験問題を必ず第一問から解きはじめ、第二問がいかに易そうでもそれから先にやったりすることは断じてなかった。この頑固さは殆ど迷信にちかいもので、彼にはそうしなければ、第二問以外も次々と崩れてゆくように思われ、ひいては人間生活の構造もそういう厳格主義でもって理解されるに至った。

ゼロイチ思考というか完璧主義というか。。。これは自分もわかる気がします。

 

己に忠なるあまり図々しくみえる彼の酒場での同じ質問のくりかえしのほうが、どんなに女たちの目に悪趣味に映っているか、そのへんは察しがつかなかった。

(中略)

そんなつれなさを恋の兆候と判断する己惚れが誠にあればまだしも助かったのに、彼は顕微鏡にしがみついて離れない細菌学者の学究的良心で、彼女の本名のことばかり考えていた。

空気が読めていませんね。それにここでは「こだわり」が「学究的良心」と表現されています。ある意味、いい得て妙。

 

そういえば、誠は弓道部に所属していました。

 芸術的なことに一向に興味がなかったので、それならいっそ、ボート部やラグビー部のような羽振りのいい運動部へ入ればよかったが、彼は運動エネルギーをできるだけ節約して、知識慾の満足に充てたかったので、あんまりくたびれないですみそうな弓道部を選んだのであった。

アスペルガーの方はチームプレーを好まないので、学生時代は陸上部や、柔道部、卓球部等に所属していることが多いと聞いたことがあります。

 

高校卒業後は東大法学部に入学します。

大学時代には独自に「数量刑法学」の体系化に勤しみます。どうやらこれは実話みたいです。

この数量刑法学というものは、人間感情を定量的に評価するという点で、アスペルガーらしい考え方、というより、アスペルガー的秀才が考えつくような理論ではないかと思います。

またこうした独自の理論を構築するところはアスペルガーの長所でもあると思います。

のちに彼自身これを数量刑法学と名付けたように、誠は量刑に当って、あらゆる物質的損害と精神的損害を同一尺度で計量するために、あらかじめ人間感情を数十の要素に分類し、これにいちいち原子量のような数量を与え、ある事件に対する各人の精神的反応はすべてこの数十の要素の結合につきる、とした。

以上が、私が主人公誠の描写でアスペルガー的だと思った箇所でした。

大学に入学してからが話の後半で、これ以降から高利金融会社設立の件りが始まります。 

前半は主人公の描写に尽きるのに、後半は実際の事件が題材となったストーリー展開で、前半と後半との調子の違いについては解説でも触れらています。

 

どうでしょうか。多少はこじつけもありますが、主人公はかなりかっちりしていてこだわりも強い人物であることは確かだと思います。

その他の部分でもわかるなーなんて思った部分もあります。それなので、読んでいると自分の心にこの小説がぴったり嵌るような感じがして読んでいてとても気分が良いです。

三島由紀夫の作品はだいたいにおいてこんな感じなので、今回の記事で興味を持たれた方は他の作品にもチャレンジしてみて下さい。

今日は以上!

7/13の不安:末永幸歩『13歳からのアート思考』ダイヤモンド社

今日あったこと

今日は終日、社外講習会に参加していました。

一日ひたすら講義を聞くような形で退屈ではありましたが、仕事をするよりマシかとも思いました。

ただ、朝が早く昨日眠る直前までスマホをいじっていたこともあってか寝不足で体調が悪かったです。。。

夜は一緒に参加していた後輩とご飯を食べに行きました。

大学時代はずっと孤独を感じていたので、こういった時間がとても幸せに感じられます。

帰りは電車に乗らず学生当時寂しい思いで眺めた同じ街の景色を眺めながら帰路につきました。

人生徐々によくなっていると信じたい(油断は禁物です)。

最近は精神的に安定してきているので、タイトルに「不安」と書きながらも大した不安を描いておりませんが、今後もブログは続けていく所存です。

よろしくお願いいたします。

 

末永幸歩『13歳からのアート思考』ダイヤモンド社

 

さて、タイトルの本、読んだのは確か4月頃だったと思われるのですが、記事にはしていませんでした。一つ心に残っていることがあり、今更ながらそれを書き留めておこうと思います。

 本書の言いたいことは一言で言うと「『自分だけのものの見方・考え方』を大事にしよう」ということだと思います。恐らく。

現代社会は「VUCAワールド」であり、あらゆる変化の幅も速度も方向もバラバラで世界の見通しがきかなくなった時代であるため、「自分なりの答え」をつくる力を養うことが必要だと説かれています。

ちなみにVUCAとは以下に示す4つの語の頭文字をとった造語ということです。

  • Volatility:変動
  • Uncertainty:不確実
  • Complexity:複雑
  • Ambiguity:曖昧

そして自分なりの答えを作る力を養うためには、アート思考を身につける必要があるとされています。アート思考とは、「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探究を続けること」だということです。

また、本書では、アート思考について理解を深めるために、20世紀に生まれた6つのアート作品が取り上げられています。なぜ、20世紀に生まれた作品ばかりなのか、というところが気になる方はぜひ本書を手に取って確かめてみて下さい。

「アート思考の本質は、たくさんの作品に触れたり、その背景知識を得たりして、『教養』を身につけることにはありません」とは説明されていますが、これら6つのアート作品に関する著者の解説はとても面白く読めました。

 他方、20世紀に入ると、その状況が一変します。19世紀に生まれた「あるもの」が世の中に普及したことで、それまでアーティストたちを惹きつけてやまなかったゴールが大きく揺らぐことになったのです。

 それ以来、20世紀のアーティストたちは、自分自身のなかに「興味のタネ」を見い出し、そこから「探究の根」を伸ばすことで「表現の花」を咲かせるというプロセスに、かなり自覚的に取り組むようになりました。つまり20世紀のアーティストたちには「アート思考の痕跡」がかなりはっきりと認められるのです。

なぜ20世紀の作品ばかりなのか、勘のいい方ならもう気づきましたかね。。。

それで、一つ私の心に残ったことは何かというと、上記引用部分の『自分自身のなかに「興味のタネ」を見い出し、そこから「探究の根」を伸ばすことで「表現の花」を咲かせるというプロセス』のことです。

この「表現の花」をもつ「アートという植物」を育てる人こそが、アーティストであるということらしいのです。

ということは、芸術に関わらず、上記のプロセスを踏めば私もアーティストたりうるということなんですよね!

これはとてもワクワクすることだと思います。

自分もアーティスト。。。

私にも「興味のタネ」はありますし、「探究の根」を伸ばすことはできると思います!「表現の花」を咲かせるというのが一番難しいかもしれませんが。。。。

今興味を抱いている分野で勉強を続けて、何かしらアウトプットできれるようなればなーと思います。

今日は以上!

7/12の不安:千葉雅也『勉強の哲学―来るべきバカのために―』文藝春秋

 目次

 近況報告 

  長らく記事を書いておりませんでした。

2週間近い出張に出ていてその間、ブログを書くのを諦めました。

出張中はずっと外の現場に出ており、拘束時間が長く、ホテルに帰ってきてからは残務に追われるという日々を過ごしたためです(ブログを書く時間が全くなかったわけではありません)。

この間ずっと車移動だったわけですが、事故を起こさず帰ってこられてうれしく思います。また、運転技術も少し向上したようで、大人に少し近づいたようなそんな気がしました。

ただ、出張中にTwitterを何度か使用しましたが、やたらと人の悪口を書いてしまいました。

あれは私の本意なので前言撤回はしませんが、不快に思われた方がいればすみません。大学生大学生した奴らが嫌い」というのは、私自身が大学生だったころから思っていることです。

大学生らしい大学生というのは、ある意味私が憧れていた存在ではあるのですが、自分がそうはなり得ないために、内心で攻撃の対象としている節があります。

それで、出張中に苛立ったのは、駐車でてこずっているところを大学生らしき集団がなにやら馬鹿にしたような視線を送ってきたことです。

あれには本気で腹が立って〇えろと思いました。

ですから、私は器用に生きて人を小ばかにしているような大学生みたいな群れている集団が大嫌いです。

いつかああいう奴らをぎゃふんと言わせたい。。。。

自分はそのために生きていると言っても過言ではありません。

ぎゃふんと言わせるで思い出しましたが、学生時代、部活の同期に大学院へ進学することを伝えると、「お前が大学院行っても無駄でしょ」と言われたことがあります。

この時何も言い返せなかったのですが、ひどく腹が立ちました。ほんとどういう思考したらそういう言葉を人に向けられるのか。今でも根に持っています。

今は大学院に進学したおかげで、就活は満足いく結果となったのでぎゃふんと言わすことが出来たと勝手に思っています。

とは言え、あいつは私のことなんか全く眼中にないと思いますが。

その時の勢いだけで人を馬鹿にするのはやめましょう。盛者必衰ですから、謙虚さが大事です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(平家物語より)

謙虚さが大事と言っておきながら、私は小ばかにされることが嫌いなので、人の目に見える圧倒的な力がほしいと思っています(念のため書いておきますが、人にいじられてムキになって怒るようなことはしません)。

それにはこの怒りを勉強に昇華させるほかに道はない。

青色発光ダイオードノーベル賞をとった中村修二さんも「Anger(怒り)が原動力」みたいなことを言っていましたよね。

ちなみに、「人から馬鹿にされるのではないかという被害妄想を持つのは、裏を返せば自分が人のことを馬鹿にしている証拠。被害妄想を持つのは卑しい考えだ」というような理論がありますが、そんな鶏が先か卵が先かわからないような考えは、今のところ自分に受け入れる余地はありません。 

 

『勉強の哲学―来るべきバカのために―』

 さて、本題ですが、勉強が大事ということで千葉雅也『勉強の哲学』を記事にしようと思います。

本書の前半の内容をかねてから記事に整理したいと思っていたのですが、それなりに読むのに頭を使うので、随分と読書時間を確保するのに時間が掛かってしまいました。

ぱっと読んだ感じなんだか難しく書きすぎているような印象を受ける本で、少し難解に感じるところがあるのですが、私は気に入って何度か読み返してきました。決して勉強だけの話に留まらないんです。コミュニケーションや言葉といった観点で読んでも勉強になると思います。

以前、一部を記事の中で紹介したこともありました。

fecunditatis.hatenablog.com

 勉強することの意味や本の読み方が本書では説明されているのですが、それが独特な言葉で説明されています。

著者の方がフランス現代思想を専門とされていて、そういった内容を背景に言葉がチョイスされているところもるようです。(そうはいってもフランス現代思想についての知識が全くなくても本書の内容は理解できるのでぜひ手に取ってみて下さい。)

最初は、本を読む人にとってはそれなりに当たり前のことが書いてあるし、本を読まない人にとっては難しく説明しすぎているし、どういった読者層を想定しているのだろうかと不思議な印象を受けました。

後になって一つ理解したことはこれは著者による言葉を使ったブロック遊びなんだということでした。

どういうことかというと、「勉強」についての説明について、著者なりの言葉のブロックを用いて再構成した内容となっており、これは出版社を巻き込んだ壮大な〇慰行為であるということです。

本書の中でも言葉はレゴブロックと同じだと説明されていますし、また、言葉の音(名前:シニフィアン)と意味(概念:シニフィエ)とを外した言葉の使い方についても触れられているので、私が言っていることはあながち間違いでもないと思います。実際、こうした類の言葉の使い方を本書では「玩具的な言語使用」と表現したり、「言葉のダンス」と表現したりしています。

何でも「言えるには言える」わけです。

 言語はそれだけで架空の世界をつくれる。だから、小説や詩を書くことができる。先ほどの「リンゴ」は現実に根ざした普通の言葉ですが、何を指すのでもないたんなる言葉をつくることもできる――「リンゴンゴン」とか。さらには、論理的にありえないことまで「言えて」しまう――「リンゴはクジラだ」とか、「丸い四角形」とか。

 こうした言語の自由さに、あらためて驚いてほしいのです。

 

こうした言葉遊びに関連して一つの詩が紹介されています。

 一つ一つの背骨に音色を尋ねてみる。本当は

 いない犬が歩いていた、水蒸気の多い場所で

 犬が本当にいる

 おお、生き生き健康体操

 動物には人間にできない動きをすることがあ

 る。このような関節の数、

 このような関節の、柔らかい液体の種類

 (小笠原鳥類『小笠原鳥類 詩集』現代詩文庫、三十七頁)

 小笠原鳥類さんの詩集ですね。

私はこれを読んだ当時、これが詩なのか!と衝撃を受けました。

過去に上記の紹介されている詩集を手に取り、このブログでも紹介したこともあります。

fecunditatis.hatenablog.com

 

なぜ言語について説明されているか

 さて、なぜ本書でこのように言語について説明がなされているのかというところを説明したいと思います。

本書では、勉強することで自由になることができると説明されています。これまでの自分を破壊し、生まれ変わることができると。そして、この自由を手に入れるキーとなるのが「言葉」であるというようなことが書かれています。

どういうことかと言うと、人間は「言語的なバーチャル・リアリティ」を生きているので、新たな可能性、新たな空間を作るには言語を用いる他はないということです。

「言語的なバーチャル・リアリティ」を生きているということがどういうことかわかりますか?

私の個人的な理解ですが、言語を用いてしか現実を理解できないということだと思います。モノには名前が付いていますし、思考する際に言語を用いていますよね。言葉があるから現実を認識することができる。現実を言葉というフィルターを通してしか見ることができないわけです。

三島由紀夫は確かこのことを「言葉の抽象作用」と言っていました。

現実を捉えることが言語の世界を生きることなのであるから、新たな可能性を切り開くためには言語を用いなければならないし、言語偏重の人になることが重要だということです。

そして、なぜ言語偏重になることと勉強が繋がるのかといえば、勉強することによって、少なからず新しく言葉を覚えることになるからです。

本書では、新しい言葉に出会って、その言葉を口にする時に感じる違和感に焦点を当てています。

例えば、会社に入ってその業界の専門用語を知ったとします。はじめのうちはなんだかその言葉が自分にまだ馴染んでいないような気がすると思いますが、そのうちその業界用語を自分でも使いこなす日が来ると思います。

この最初の自分に馴染んでいないような感覚(言語の不透明性)を感じることで、言葉というものが現実とは分離していること(言語の他者性)に気づき、それを契機として言語を操作するという意識を持つことが大事ということです。

言葉というものは現実に密着していないので、必ずしも現実に即した言葉を使う必要はありません(なんでも言えるには言える)。

これで、最初の「玩具的な言語使用」の話に戻ります。

いまは非現実だとしても、「私は上海で働く」という可能的な状況を、言語を使って想定することで、その実現に向けてアクションを始めることができる。あるいは、「貧困に苦しむ人がいない世界」という言葉の並びをつくることで、それを旗印として社会運動が始まる。

一般勉強法とは、言語を言語として操作する意識の育成である。それは、言語操作によって、特定の環境のノリと癒着していない、別の可能性を考えられるようになるということである。

ここで、上記の「一般勉強法」とは、新たな業界に入って言葉を覚えたときの違和感を大事にするような言語への意識を高める勉強のことを指しています。

自由な言葉遊びによって生の可能性を豊かに想像することができるということです。

そして、言葉遊び的な態度で言葉に関わることは言語偏重になることであり、 深く勉強するとは、言語偏重の人になる事である。。。。

意訳に近いところが多いですが、以上が本書の第一章で語られていることです。

この第一章で印象的なところは、人間は完全に自由になることはできないという件りです。私は現状が嫌になって転職とかの可能性を考えたりすると、いつもこの話を思い出します。今ここを抜け出しても、また耐えられるかどうかの別の環境があるだけかと。。。。

  しかし、あるとき、「別の可能性」を考えたくなるかもしれません。考えざるをえなくさせる出来事が、何か起きるかもしれない。マゾヒズムにも限度があるでしょう。限度を超えたストレスを受け続けているなら、どこかへ避難すべきです。

しかし繰り返しますが、完全な自由はありえません。だから、どれほど苦しくて自由を求めて逃げ出しても、それは「耐えられる範囲で不自由であるような別の環境」への引っ越しをすることでしかありません。

 私たちは、あるマゾヒズムから、別のマゾヒズムへと渡り歩く――。

繰り返しになりますが、完全に自由になることはできないので、その環境に居ながらにして距離をとる必要があり、そのためには現実から分離した言語によって、その他の可能性を考えることが大事ということになるようです。。。

 

アスペの人がやりがちと思われる会話の仕方

 第二章では、「言語をそれ自体として遊びで操作し、可能性をたくさん描く」方法が説明されています。

別の新しい可能性を考えるためには、自分の今いる環境に癒着していない何か「ノリの悪いこと」を考えてみる必要があり、非現実的な(浮いた)言語の使い方をする必要があるということです。

そうしたノリの悪い言語の使い方のテクニックを知るために、「場から『浮いた』語り」(会話の仕方)がいくつか分析されています。そのうちの一つの語りは、アスペの人がやりがちではないかと思うのです。

その語り(会話の仕方)というのが、勉強によって何かに詳しくなった時にやりがちで、本書で「縮減的ユーモア」と説明されているものです。

それは例えば、皆でドラゴンボールの話をして楽しんでいるときに、話の流れを無視して、一人だけヤムチャのうんちくを語り過ぎてしまうというような会話の仕方です。

 『ドラゴンボール』は確かにみんなの主題なので、共同的に言語行為をしていると半面では言えますが、しかし、半面ではたんに自分の話に没頭し、孤立し始めている。

 あるいは、「自閉的」な状態に向かっている。

 縮減的ユーモア=「不必要に細かい話」は、自閉的な面を持っている。

「自閉的」と書かれていますね。

 今では、当たり前のように理解していますが、これを読んだ当時ははっとさせられました。だから、自分の語りは孤立してしまうのか。。。と。

 この章の会話の分析は本書の原理論として中核をなしています。

少し難しいのですが、自分のための備忘録として以下に内容を整理しておきます。

ちなみに長くなるため、本書で使われている用語の説明はしません。

気になる方は手に取ってみて下さい。

 

第二章原理編のまとめ

  場から「浮いた」語り(会話)の分析

勉強の本質を知るため、場から「浮いた」語り(会話)を分析してみる。

会話には「こういう話をするもんだ」という「会話のコード」がある。それは目的的・共同的な方向付けであり、例えば、不倫の話題について芸能人を批判し合い価値観を共有しあうというような、いわば「空気」として共有されているものである。

会話のコードは話の流れが転々とするように常に不確定であり揺らいでいる(コードの不確定性)。

自分の今の環境のノリに抵抗する新たな自分を言語的に作り出すために、この会話のコードを転覆させることを考えてみる。

ここで、コードの転覆に必要となる本質的な思考スキルがアイロニー(ツッコミ)とユーモア(ボケ)である。アイロニーとユーモアはコードを転覆させるための対極にある方法である。

コードを転覆させるために、まずコードを客観視した上で、アイロニーによってコードを「疑って批判」し、その次にユーモアによって「ズレた発言」をすることを考える。

(0)最小限のアイロニー意識:自分が従っているコードを客観視する

(1)アイロニー:コードを疑って批判する

(2)ユーモア :コードに対してズレようとする

ただし、アイロニーもユーモアも過剰になるとナンセンス(無意味)な「極限形態」に転化するため、ナンセンスにならない範囲でコードを転覆させる必要がある。

ナンセンス(無意味)は玩具的・自己目的的な言語空間であり、そこには文学がある。プログラミングや料理等の実用的な勉強は、この玩具的・自己目的的な言語空間の一部である。

 

アイロニーの仕組み

 アイロニーは自覚的なツッコミであり、コードを疑い批判するものである。

不倫の話題に「そもそも不倫は悪なのか?」、「そもそも悪とは何か?」とつっこんでいくように、元のコードから、アイロニーによる批判によって出現する高次のコードに移ることを「超コード化」と呼ぶ。超コード化は推し進めると、コード不在の状況に陥いるが、これは「超コード化による脱コード化」と言える。

上記のように、アイロニーによる根拠づけの疑いは際限なく深まることになり、最終的には言葉の真の意味(現実に一致した究極の言語)を知りたいという欲求に繋がる(アイロニーの過剰)。

しかしながら、言葉は環境依存的であり、言葉の意味は環境における「用法」でしかないため(ウィトゲンシュタイン的に)、結局はそれに到達することができない。

したがって、言葉の真の意味に到達したいという欲求は、環境依存的でしかない言語を「無化」したい、現実それ自体に触れたいという欲求となり、アイロニーは、「言語なき現実のナンセンス」へと突き進むことになる。

ここまでを一度整理すると以下の通り。

(1)ある環境に縛られて、保守的に言語を使っているのがデフォルトの状態である。

(2)アイロニーによって、コードを疑うことで外に出ようとする(現実それ自体に触れたい=言語的なバーチャル・リアリティを抜け出したい)が、それは果たすことができない(結局、環境の外には別の環境があるだけ)

(3)第三段階として、次の手を打つ。すなわち、環境の複数性=言語の環境依存性を認め、アイロニーによって言語の破棄に至るのではなく、諸言語の旅に出る(ユーモアへの転回)。

 

ユーモアの仕組み

ユーモアはコードを拡張するものである(コード変換)。

例えば、不倫の話題に「不倫ってさ、音楽なんじゃない?」というような浮いた発言をし、ユーモアにより話題を転換するようなものである。

話題が転々とするように、(拡張的)ユーモアによるコードの変換には際限がなく、コードの不確定性を最大限に拡張すればどんな発言も繋がることになる(繋がっていると解釈しさえすればよい)。

ただし、ユーモアが過剰になると、コードが増えすぎて何の話をしていたのかわからなくなるような状態に陥る。これを「コード変換による脱コード化」と呼ぶ。

あらゆる会話・発言が繋がるということは、言葉自体の意味=用法が無限に広がることを意味し、ユーモアは、接続過剰による「意味飽和のナンセンス」になる。

ここで、接続過剰とならないような拡張の逆となる縮減的ユーモアについて考えてみる。

縮減的ユーモアは、新しい見方へコードを変換するものではなく、コード全体をコードの一部へ縮減するものである。会話の中で、一人不必要に細かい話をしてしまうのが縮減的ユーモアであり、縮減的ユーモアには自閉的な面がある。

縮減的ユーモアによる語りは「享楽的なこだわり」のために口を動かしているだけである。

縮減的ユーモアが過剰になると、そこに残るのは、自閉的・独語的に語られている音であり、言語の非意味的形態である。(??あまりよくわからない)

したがって、縮減的ユーモアの極限は「形態のナンセンス」である。

我々が何を享楽的に語るかは個人的な「重みづけ」によるものであり、それぞれが自分を個人的な存在とする非意味的形態の遊びを持ってる。

個々人が持つ様々な非意味的形態への享楽的なこだわりが、ユーモアの意味飽和を防ぎ、言語の世界における足場の、いわば「仮固定」を可能にする(享楽的なこだわりは勉強を通して変化する可能性がある)。

これを「形態の享楽によるユーモアの切断」という。

 

以上が第二章のまとめです。

第三章以降では、この享楽的なこだわりを硬直化、絶対化させないために、アイロニーによってこだわりと出合い直す方法が示されています。

自分がこだわってしまう事柄を再考することによって、勉強すべきテーマを見つけようというものです(恐らく)。そしてそのテーマについて勉強することが個人の可能性を広げることになるというのが全体の話だと思われます(後半はあまりしっかり読んでません)。

ただし、勉強の次元で言うと、アイロニーは追究(深追いのしすぎ)であり、ユーモアは連想(目移り)であるため、何をどこまで勉強するのか、という有限化が大事だということでした。

その他、実践編の内容については省略します。

 

最後に、、、

  言語で新たな空間・可能性を作るとはいっても、読書で現実逃避するように結局は頭の中にある世界を生きるしかないのかとも思いましたが、そうではないですよね。

言語によって他の可能性を考える。それが行動の動機づけとなる。行動が変われば現実が変わる。こういう寸法だと思います。

ただ、頭の中の世界を生きるのも悪くないかもしれません。

最後に夏目漱石の『三四郎』から、主人公の三四郎が熊本から上京する途中の電車内で広田先生なる人物に出会ったときのシーンを青空文庫より引用しておきます。

すると男が、こう言った。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓《ひいき》の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯《ひきょう》であったと悟った。
 その晩三四郎は東京に着いた。髭の男は別れる時まで名前を明かさなかった。三四郎は東京へ着きさえすれば、このくらいの男は到るところにいるものと信じて、べつに姓名を尋ねようともしなかった。

「日本より頭の中の方が広いでしょう」という言葉が印象的ですね。頭の中の世界を生きるのも悪くはないかもしれません。

ということで今日は以上です。

6/27の不安:坂口安吾『堕落論』新潮文庫

一週間お疲れ様でした。

本題に入る前に今週の反省すべき出来事を一つだけ書いておきます。

それは電話での意思疎通ができていなくて、手戻りが生じたり、上司の方に確認の電話が入ったりすることが立て続けにあったことです。

電話中に言いたいことがうまく伝わっていない気がしても、電話が苦手なので早く切りたい一心で言っていることをぼやかしたままにしてしましました。悪い癖だ。

電話後に不安になって、追加で意図を伝えるメールを送ったのですが、うまく伝わってませんでした。反省。

 

さて、本題ですが、新潮文庫坂口安吾堕落論に収録されているいくつかの評論をざっと読んでみました。

堕落論 (新潮文庫)

堕落論 (新潮文庫)

 

 以前から部屋の片隅に置いてあり、読んだ記憶はあったのですが、どんな話だっただろうかと思って再度手に取ったのでした。

読んだのは、「堕落論」、「続堕落論」、「特攻隊に捧ぐ」、「日本文化私観」です。

正直、わかったようなわからないような。。。って感じです。

ただ、他にもやることがある中で読むのにそれなりに時間を掛けたので、何かしらここに書いておこうと思います。

堕落論の内容としては、人間はもともと堕落するもので、戦争に負けたから堕ちていくのではないよ、堕ちるところまで堕ちきったときに本当の人間の姿が見えてくるよというような内容だったと思います。

戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人間を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

上記の引用部分はなんとなくわかるのですが(正直堕ちることが救うことになるのがわからない。そもそも救われる状態とはどういう状態を指しているのかわからない)、ところどころ見慣れない言葉も多いし、一つ一つの話の関連が自分にはどうもよくわかりませんでした。

書き出し以外はそこまで難しい言い回しでは無かったような気もしましたが、何回か読んでもあまり理解は深まりませんでした。政治や人間性について書いてあるから話が難しいんですかね?

また、時代背景や著者の詳細を私は知らないので、汲み取れない部分もあったかと思います。

ただ、戦時中・空襲に出くわした時の記述なんかを読むと、死を恐れながらも明日がないとも知れない状況に嬉々としている姿は三島由紀夫に通ずるものがあるのではないかと思いました。

それだからして、三島由紀夫坂口安吾のことを敬愛していたことは、なんとなくですがわかったような気がします(勝手な解釈)。

私は偉大な破壊が好きであった。私は爆弾や焼夷弾に戦きながら、狂暴な破壊に激しく亢奮していたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでいた時はないような思いがする。

(中略)

やがて米軍が上陸し四辺に重砲弾の炸裂するさなかにその防空壕に息をひそめている私自身を想像して、私はその運命を甘受し待ち構える気持ちになっていたのである。私は死ぬかもしれぬと思っていたが、より多く生きることを確信していたに相違ない。

 

続いて、「日本文化私観」ですが、こちらもあまり理解できなかったかもです。。。

簡単に内容を説明すると、以下の章立てで日本文化に関する著者の考えが述べられたものです。「私観」とあるだけあって、読む人にとっては結構新鮮に感じることが書いてあると思います。「必要ならば、法隆寺をとりこわして駐車場をつくるがいい。」なんてことも書かれています。

  1. 「日本的」ということ
  2. 俗悪について(人間には人間を)
  3. 家に就て
  4. 美に就て

私は特に「美に就て」で著者の「どういったものが美なのか」という議論の部分に共感を覚えました。

「必要」のみが要求する独自の形態が美の正体であるというのです。

これは美について考えるきっかけとなった刑務所や工場や軍艦等の物理的な存在にも当てはまるし、文学にも当てはまるということです。

美は、特に美を意識して成された所からは生まれてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。

 

また、文学だけでなくスポーツも、必要から生じる美の例として挙げられています。

 百米(メートル)を疾走するオウエンス(アメリカの陸上選手)の美しさと二流選手の動きには、必要に応じた完全なる動きの美しさと、応じ切れないギコチなさの相違がある。

※カッコ内は私が追記しました。

これは陸上に限らず全てのスポーツに言えることだと思います。身体の使い方が上手でしなやかな方が美しく見えるというのはなんだか不思議なことですね。

またまた三島由紀夫ですが、彼も『太陽と鉄』の中で剣道に触れて以下のように書いています。

私は正しい美しい形態が、醜い不正確な形態を打ち負かすのを見た。形態の歪みには必ず隙があり、そこから放射される力の光線は乱れていた。

意図的に装飾したりするのではなくて、必要がために生まれたものが美しいとする考え方は、自分を魅了するものを的確に表現しているような感じがしました。

話は飛んで、私はトポロジー最適化や形状最適化みたいな技術に興味を抱いているのですが、こういった技術によって作られる形態(下図の画像のような橋)にドキドキするのは、決してそれが一般的な構造物とは異なって有機的な形状をしているからではなくて、その形状が制約条件の中で最適解であって、構造的に一番洗練された形だからなんですよね。

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将来の橋の形(出典:日本経済新聞

www.nikkei.com

多少の安全余裕はあるにしてもすべての部材が力学的に「必要」とされている様は一番無駄のなく洗練された姿だと思います。

 

 「日本文化私観」は少し難しいところもありましたが、最後の最後に「美」についての文章に触れることができて読んでよかったなあと思いました。

興味ある方、ぜひ読んでみて下さい。

今日は以上。

6/24の不安:内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫

今日もお疲れ様でした。

昨日よく眠れず身体がだるかったのですが、なんとか頑張れました。

それにかねてからどうしようかと気に掛けていた案件が進捗を見せたので、ほっとしました。

最近はなぜか過去に関わった業務の問い合わせが多く、現在携わっている業務に十分時間を割くことが出来ていません。

それに来週は長期で出張に行くことになってしまいました。

また車に乗るので、次こそ事故に気をつけねばなりません。

fecunditatis.hatenablog.com

 そういえば、車の運転で思い出したのですが、前回、上司を車に乗せたときは何も言われなかったのですが、裏で上司が「○○(私)の運転、ちょっと怖い」と言っていたことが判明しました。

また別の上司と車の話になった時に、自分の運転中の癖を指摘され、「もっと余裕をもって運転しなきゃ!」と言われたのでした。

この方を車に乗せたことは無いのになんで自分の運転中の様子を知っているのだろうと思ったのですが、そういうことでした。

真面目に指摘されたわけではなくて、穏やかな雰囲気での会話だったのですが、ちょっとショックで顔が引きつってしまいました。

まあ、本人の前で運転怖いと言わないのは上司の優しさですよね。

これはしょうがない。

逆に目の前で「怖い」と言われたらそれこそプレッシャーになって、余計ぎこちなくなっちゃうし。

自分が理想とする一人前の大人になるには、まだまだ先が長いなーと思ったのでした。

 

さて、本題ですが、以前以下の記事の最後にV・Eフランクル『夜と霧』を紹介して、「生きる意味を問うのではなくて、人生が自らに投げかける問いにどう答えるかが大事」なんだよ、みたいなことを書きました。 

fecunditatis.hatenablog.com

 しかしながら、そうは言っても「何のために生きてるんだろ?」とふと考えてしまうことは少なくないかと思います(私みたいな人は)。

それで、生きる意味についてヒントを与えてくれそうな本を読んでみようということでタイトルの本を手に取りました。

内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』岩波文庫

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

後世への最大遺物・デンマルク国の話 (岩波文庫)

  • 作者:内村 鑑三
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 文庫
 

 読んだのは、『後世への最大遺物』のみで、大学時代に一度読んでいますので、再読になります。

この本は明治27年(1894年)の夏期学校における内村鑑三の公演内容を収録したものです。

表紙の紹介文にもある通り、内村鑑三が人生で後世に残しうるものは何だろうかということについて語っています。

《我々は何をこの世に遺して逝こうか。金か、事業か、思想か。……何人にも遺し得る最大遺物――それは勇ましい高尚なる生涯である》。

「金か、事業か、思想か、、、、いや、そうではなく勇ましい高尚なる生涯である」という文脈ではなくて、「金もそうだし、事業もそうだし、思想もそう、、、、それでも皆が皆それらを遺す才能があるとは限らないから、最大遺物と言えば勇ましい高尚なる生涯である。」という文脈になっているかと思います。

千載青史に列するを得ん。(長い間にわたり、歴史や記録に残る人物となること)」との考えを欲するようになったところ、宣教師に叱られたとのことですが、内村鑑三自身は、本当の意味するところはそんなに悪い考えではないとし、死ぬまでに少しでもこの世をよりよくしていこうと聴講者に話しかけています。

すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。

それで、私が注目したのは後世に遺す事業として「土木的な事業」が挙げられているところです。これは私が学生時代にこの本を読むきっかけとなった内容でもあります。

それで事業をなすということは、美しいことであるはもちろんです。ドウいう事業が一番誰にもわかるかというと土木的の事業です。私は土木技術者ではありませぬけれども、土木事業を見ることが非常に好きでござります。一つの土木事業を遺すことは、実にわれわれにとっても快楽であるし、また永遠の喜びと富とを後世に遺すことではないかと思います。

建設業界に従事する者にとって、やりがいに直結しそうな文章です。

私はまだ若手で実務経験も乏しいのですが、今後「何かを遺すことができたぞ」と実感できる日が来ればもう少し生きる意味を見出せるのではないかと思っています。

それまでとりあえず日々の仕事に耐えてみます。

ところで、内村鑑三がこうしたことを述べたのには、二人の人物の影響があると考えられます。

そのうちの一人が、内村鑑三札幌農学校(現在の北海道大学)に在籍していた頃に教頭を務めていたウィリアム・ホイーラーです。

彼は、少年よ大志を抱けで有名なクラーク博士の愛弟子であり土木技術者でした。

そしてもう一人が、札幌農学校内村鑑三と同期で、且つこのホイーラーに感化され土木技術者となり、のちに東京帝国大学の教授となった廣井勇でした。

廣井勇のWikipediaには、内村鑑三との関係を示す文章があります。

勇は彼らの中でも非常に熱心な信者であったが、ある日内村鑑三「この貧乏国に在りて民に食べ物を供せずして宗教を教うるも益少なし。僕は今よりは伝道を断念して工学に入る」と宣言し、内村らに伝道を託したという。

 廣井勇は東京帝国大学教授となったのち、東京帝国大学から数々の有名な土木技術者を輩出することになります。

青山士、八田與一、宮本武之輔、田中豊。。。。

建設業界の方なら、この方々の名前にピンとくるのではないでしょうか。

内村鑑三の周りには多くの土木関係者がいたわけですね(といっても二人だけど)。

こうした歴史上の人物の繋がりを考えると何かわくわくするものを感じます。

皆さんもぜひ一度読んでみて下さい!

今日は以上。