12/20の不安:今日感じたことと大学生活のこと
最後にブログを更新してからおよそ1年たっていた。
はじめに記事づくりに気合を入れすぎて長続きしてなかったなあ。
ほんとに3日坊主だった。
これからはあんまり人に見られることを気にせず徒然に書いていこう。
まあ、なんで今日いきなり更新したかというと、久しぶりに自分に嫌気がさして、というか将来に不安を覚えて、この気持ちを消化させたいと思ったからだ。日記に書こうかとも思ったがふとこのブログの存在を思い出してここに書くことにした。
それで今日何があったかというと、久しぶりに卒業した大学に行ってきたのだった。久しぶりに当時お世話になった先生にあったのだけれど大して会話は盛り上がらなかった。自分のコミュ力のなさを痛感した。
まあもともと他人に興味がないのだから盛り上がらくて当たり前なんだけど、それも含めて自己嫌悪になった。
それにしても学生生活は楽しくなかった。それを急に思い出した。
最近になって人生楽しくなってきたと思っていたのは、自分が変わることが出来たからではなくて、就職して環境が変わっていたからだった。
そのことに今日は気づいてしまった。
今が楽しければそれはそれでいいのかもしれないが、要は自分はあの時のダメダメな自分と全く同じであって、最近楽しく感じるのは自惚れに近い自己認識における誤解があるからだということに気づいた。
それにしても大学生活は楽しくなかった。(二回目)
大学はコミュ力のある人間が社会に出る前に、あらゆる個人的な社会実験を行う場であって、コミュ力のない人間に提供された場ではなかった。
それは入学してから数年後に気づいたのだけれど。
そもそも生きるということ自体が自分以外の人間とのコミュニケーションを楽しむことであるのであって、それが出来ない人間は人生を楽しめない。
よく人生は自分が主役というけれど、まわりに人がいなければ物語は始まらない。物語のない人生は面白くない。
遊ぶことが出来ないのなら勉強に精を出せばよいという声が聞こえそうだが、自分は大学入学後に全く自分というものに自信を失ってしまって、勉強もままならなかった。というより、本当に大学の勉強についていけなくて、それもまた自己嫌悪の原因の一つだった。
生きづらさはまだ消えていない。就職してからとりあえず仕事していれば文句は言われないし、お金はもらえるから自由度の高すぎる大学生活に比べたら今の方が楽しい。
ただ仕事というのは同じ空間にいる必然性のない人間同士が同じ目的に向かって作業をすることだから、ここでもやはりコミュニケーション能力は必要となってくる。
どうにかこの不安な人生をどうにかしたい。
急に闇記事を書いてしまったけど、学生時代より調子は良くなってきているのだから、明日もそこまで思い悩まずに楽しもう。
あと自分と似たような大学生活を送っている学生がいたら、あきらめないでとりあえず生きてほしいなと思った。
以上。