アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

11/10の不安:アドラー心理学と仏教の共通点

今日あったこと

 

今日は時間の使い方がうまくいきませんでした。

明日からの予定のため、とある地方都市に前乗りする必要があったわけですが、身体が重くて準備が遅くなりました。

 

自分が準備し終わった時間と電車の時間もうまく合わず、今こうして待っている間にブログを書いています。

 

現金もほとんど持っていないため、お金を下ろす必要があったのですが、すっかり忘れていました。気付いた時にはATMの時間は終了していて。。。

ホテルの宿泊費を現地払いして、残りのお金でなんとか過ごすことができるでしょうか。。。

 

自分は今クレジットカードを一枚しか持っていません。そのカードも上限に達したためか今は使えません。

また銀行でお金を下ろすのに必要なカードも持っていないため最近は通帳を持ち歩いてお金を下ろしてます。

 

なぜそんな面倒なことをしているかというと以前財布をなくしたからです。

今年に入ってから二回もなくしました。

財布代、中に入っていたお金含めておよそ13万円の被害です。

被害といっても自業自得ですが。。。

それで、そこからカードの再発行をしてないわけです。

自分の悪いところです。注意散漫なところとすぐに行動しないところ。少しADHD注意欠陥多動性障害)ぽいところがあるかもしれません。

 

学生時代、注意散漫で落ち込んだ話

 

学生時代は本屋で二年間アルバイトをしていたのですが、ある時から自分がしてないミスまで自分のせいじゃないかと疑われ始めたことがありました。

単純に自分のミスが多くて疑いを掛けられていたわけでした。

 

大学卒業とともに辞めたのですが、最終日に裏の倉庫で作業をしていたところ、副店長がやってきてこんな話をしてきました。

 

「〇〇くん(〇〇は私の名前)は、真面目そうに見えておっちょこちょいなところがあるから、就職してから大変な思いをするかもしれないよ。

ミスが多いのも気をつけなきゃいかないけれど、特に性格が真面目そうに見えるからそのギャップに苦しむかもね。

だから気をつけてほしいと思って。。。」

 

私のことを思ってわざわざ話に来てくれたのでした。気持ちはとても嬉しかったのですが、その時はかなり落ち込みましたし、それ以来自分に注意散漫なところがあることを自覚するようになりました

 

また、社員さんの間で、私にチョンボ〇〇」というあだ名が付けられていたことも知りました。

 

社員さんの皆さんは優しく接して頂いていたので、恨んでいるわけでもありませんし、そのあだ名自体に悪意のあるものだとは思っていません。

ただし、あだ名が付けられていたということは、自分の注意散漫さが他の人に比べて特別であることを示す事実であってかなり重いボディブローとして自分に効いてきました。

 

当時は毎日動悸と不安に襲われていたので、脳の扁桃体の機能が低下してより注意不足になったのだと今は理解していますが、財布を無くしていることでも分かる通り、今でも多少注意不足なところがあると思います。

 

この注意散漫であるところがいつ自分に不都合をもたらすかがわからないため、それが不安となって毎日襲ってきます。

それでもこの不安に飲み込まれてしまうとより注意散漫になるわけで、悪循環に陥らないようにしなければいけないので大変です。

 

不安の正体は目に見えないからこそ、不安となるわけです。

将来の不安は紙に書き出せばある程度形がぼんやり浮かんできて、不安は少し小さくなるかもわかりませんが、注意不足がもたらす不安ばかりは、紙に書き出してどうにかなるものでもありません。

未だに対策の方法がわかりません。何かいい方法があれば教えて下さい。

 

アドラー心理学と仏教の共通点 

さて、本題ですが、以前話題となった以下の本を覚えていらっしゃるでしょうか。 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 アドラー心理学流行の起爆剤となった『嫌われる勇気』です。

こういった自己啓発本は嫌悪していたのですが、あまりにも話題であったのと、少し救われるかもしれないという淡い期待の元購入したことがありました。

内容はあまり覚えていないですが、一部だけ覚えている箇所があります。

それは本題にあるアドラー心理学と仏教との共通点ではないかと思われる箇所です。

この本の後半で「自己受容」が大事であることが説かれるわけですが、この「自己受容」のことを筆者の方は「肯定的なあきらめ」と呼んでいます。

自己受容は文字通り、あるがままの自分を受け入れようということですが、現状の自分をあるがままに受け入れるためには、ある程度の「あきらめ」が必要となってきます。

それでこの自己受容を「あきらめ」と呼んでいるわけです。

また、本書には以下のような説明もあります。

 

あきらめという言葉には、元来「明らかに見る」という意味があります。物事の真理をしっかり見定めること、それが「あきらめ」なのです。

悲観的でもなんでもないでしょう。

 

これは明らかに仏教的な考え方です。仏教の悟りを開くとは真理を明らかにすることだからです。実際、「仏教」というワードと「諦め」というワードをAND検索すると多くの記事がヒットします。

 

アドラー心理学と仏教が共通しているからなんなんだということですが、西洋人が生み出したアドラー心理学と東洋人が生み出した仏教とがほぼ同じようなことを唱えているとなるとこれはひょっとすると人類に共通する普遍的な考え方なのではないかということです。

 

気になる方は読んでみてください。

ちなみにアドラー心理学を簡単に学ぶには下記のマンガがおススメです。

 

アドラー心理学では「共同体感覚」というキーワードが出てくるのですが、この考え方が簡単に説明されています。私はこの考え方がとても気に入っています。

人のために生きることができればそれでいいじゃん、人と比べる必要ないじゃん、てことです。

 

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