アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

11/22の不安:アスペルガーに天才が一定数で現れる理由(不滅に対する欲求が天才に導く??)

今日あったこと

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今日は出張&打合せでした。

出張先では上司と先輩をレンタカーに乗せて高速に乗ったので緊張しました。。。

打合せ資料も出発のぎりぎりまで修正を加えて、電車の中でも説明の脳内イメージ。

疲れました。

ただ打合せではあまり喋らせてもらえなかったり、作った資料使わなかったりで少し肩透しを食らったような感じがしました。

悪い方向に話は進まなかったけれど、自分が活躍したという実感はありませんでした。

運転がんばっただけ。

自分に社会人基礎力がないのが悩み。

いつになったら大人になれるんだ~

www.meti.go.jp

 

天才願望について

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天才願望、皆さんは持っていますか??

私はあります!天才的な才能で富と名声を手に入れたいものです。

アスペルガーに関する書籍を読むと「有名な〇〇はアスペルガーだった!」という文章をよく見かけます。

アスペルガーでも才能を持っている可能性がありますよ、と勇気づけるような書き方が多いのですが、残念ながら実際には才能なんてなくて苦労するだけの人が多いようです。

ただ、確かにアスペルガー持ちに天才は一定数いるようで、その理由に近いものが下記書籍に書かれていました。一部内容を引用しておきます。

広沢正孝『成人の高機能広汎性発達障害アスペルガー症候群―社会に生きる彼らの精神行動特性』

成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群―社会に生きる彼らの精神行動特性

成人の高機能広汎性発達障害とアスペルガー症候群―社会に生きる彼らの精神行動特性

 

 種々の神経心理学検査の知見でも、高機能PDD者を対象とした検査結果から、彼らが言語的、空間的、音楽的、そして理論的であることが明らかにされている。しかもOzonoff,S.らが指摘するように、これらの人々は抽象概念や理論に魅了されているという。

 さらにFitzgeraldは、Grandinの陳述の中に、自閉症である天才に典型的にみられる特徴としての、不滅に対する欲求を見出している。すなわち「……私は私とともに私の考えが死んでほしくない。……(中略)……私は何かを成し遂げたい。……(中略)……私は権力にもお金にも興味はない。後世に何かを残したい。積極的な貢献をし、私の人生に意味があることを知りたい。今まさに、私は自分の存在の中心にあるものについて話している」。これはPDD型自己のもつひとつの信念であり、才能の発揮の方向性を示している。

 以上を見ると、高機能PDDにみられる「天才」とは、主に機械的な記憶、理論的概念、そして絶対的な普遍性(ないし不滅性)といった領域において認められるといえよう。すなわちそれは、folk physics領域における著名な才能であり、systemizingの志向性をもち、そしてPDD型自己の存在様式と結びついてもいることがわかる。

 用語の説明は記事の最後に載せてます。

中間のボールドにした部分(後世に何か残したい云々)はアスペの有無に関わらず、わかる人もいるんじゃないでしょうか。私も学生時代はこれに近いような考え方をしていました。

私の場合は単に私がアスペルガーだからとかそういったことではなく、人との関りが少なく、行動することも少なかったため、自我が肥大化してしまって、そのような思考に陥った部分があると思っています。

 

少し話がずれますが、芥川賞受賞作家の庄司薫は『バクの飼い主めざして』の中で、「青春時代とは自分の可能性を手当たり次第につぶしていく作業期間のこと」と言っていた気がします。(すみません、今手元になくてしっかり確認できません。)

バクの飼主めざして (中公文庫)
 

 学生時代の私は行動をとることをせず、自分への可能性を大事に大事にとっておいたので、ある種の万能感を抱いていたのだと思います。

 

話をもとに戻します。

アスペルガーの天才が天才として世に出るのは、圧倒的な記憶力であったり、論理的思考力であったりする能力が不滅に対する欲求によって機能させられるからみたいですね。

本人の能力を発揮する方向に「不滅に対する欲求」が導く。

これは機能快(フンクチオンス・ルスト)の考え方にも通ずるところがあると思います。機能快は、子供にとっては自分の能力内にあることをやることが快感であるという考え方です。

子供が生まれて二本足で歩くなるようになることも言葉を喋れるようになることも、先天的にその能力が備わっていて、その能力を使うことが本人にとっては快であるため、子供の発達が促されるようです。

これは子供に限ったことではなく、例えば女性には子供を産む能力があるため、子供を産むことが快である、また、筋力のある男性はスポーツをやることが快である、というようにその人が持っている能力を使うことがその人にとっては快となります。

したがって、人には自分の能力を使いたいという欲求があるわけで、アスペルガーの人にとってはその「自分の能力を使いたい」という欲求が「後世に何かを残したい」

というような不滅に対する欲求として現れてくると言えそうです。

この「不滅に対する欲求」が備わっているがためにアスペルガーに天才が一定数現れるみたいですね。

ただ、自分の能力を発揮する方向にうまく進めばいいですが、ただ単に「私の人生に意味があることを知りたい」といったような根源的な欲求に囚われるだけになってしまうと、実際的な社会生活はなかなか難しいのかなと思います。

そんなわけで、うまく能力を発揮する方向に合致すれば幸せですし、合致しなければそもそもの不器用さも相まって苦労するだけということになりそうです。

  

機能快は下記書籍から学びました。

渡部昇一『「人間らしさ」の構造』

自分に備わっている能力を使うことが快であるため、それを行うことが自己実現に繋がる。

だから自分の内なる声に耳を傾けること、自分にとって喜びとなることは何かを知覚する能力を機能させることが大事とのことでした。 

 

アスペルガー特性の持ち主の全てが「天才」ではない

天才が天才として世に出てくるためには、そもそもの能力が圧倒的に高いことと環境条件も大事です。

また引用します。

しかし、Fitzgeraldによれば、実際には、「自閉症スペクトラム障碍のうちせいぜい200人に1人か2人が天才的な才能を有していると考えるのが最も現実的な見解である」という。

ということで天才の割合はアスペルガーの持ち主全体の0.5%~1%ということになります。アスペルガーの持ち主が100人に1人であると仮定すると、アスペルガーに起因する天才の割合は人口のおよそ0.01%ということになります。10000人に1人です。そう考えると多いわけですが、ここからさらに環境条件によって天才の数は絞られます。

 

 またたとえ天才的な才能の存在が発見され、それを生かそうとする職場があったとしても、彼らの人生が常に順調にいくとは限らない。(中略)ここで問題となるのが、国際化とグローバリゼーション化、効率と生産性、利潤の追求、その中で規格化された業績を短時間で求める現代世界の特徴である。このような社会の中では、たとえ天才の素質をもっていても、高機能PDD者はその才能を発揮できないばかりか、彼らの「非常識にみえる」精神行動特性のみが目立ってしまいかねない。

環境のせいで才能が発揮されないことも考えると、実際に目に見える天才は10000人に1人よりもさらに少なくなることになると思います。

 不器用で苦しい分、他の才能で報われてほしいなーって思いますね。

 

不確かな用語説明。。。

高機能PDD

知的な遅れを伴わない広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorder)のこと。高機能の自閉症アスペルガー症候群、高機能の非定型自閉症ないし特定不能のその他の広汎性発達障害三者が含まれます。(高機能とは確かIQ70以上のことを意味していたと思います。)

 

folk physics領域

脳が対象の動きを認識するために特化している領域の一つ。(恐らく認識能力のことです。)対象が物質的存在としてどのような動きをするのかということを捉えようとする庶民物理学者的な志向性をもちます。

例えば、小石を積み重ねていったときに、安定しないなってことは感覚的にわかると思います。その認識能力のことらしいです。

対義語は「folk psychology領域」で社会的存在としての対象の動きを捉えようとする庶民心理学的な志向をもつとのことです。

 

systemizingの志向性

周囲の事象を体系化ないし分類化することで理解しようとする志向性のこと。

 

PDD型自己

 高機能PDD者に見られる自己構造。ここら辺は説明が難しいので割愛させてください。著者によると「対象を正確に分析し、(他者との関係も含めて)客観的な真理をつかむ方向に精神作用が向けられ、それとともにタッチパネル様の自己感・自己イメージが成立するものと思われる。」とのことです。