アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

12/1の不安:本を読んで運動音痴の自分を慰める(三島由紀夫「実感的スポーツ論」)

目次

今日あったこと

今日から12月ですね。

年末は全力で楽しみたい。だからこの1か月は全力で取り組む!

そういっておきながら今日は何もしていません。

身体が重すぎてずっと寝てました。

うつになったかと思った(結構ガチ)。

最近、勉強もしていません。ダメですね。

不安が大きくなって先が見通せなくなると何もしません。

これは大学受験を恐れていた高校生のときの自分と変わっていません。

要は、うまくいかないことが分かっていると、何もしないことによって、「何もしていないから、うまくいかなかった」という理由を作ろうとしているのです。

クズですね。

「何もしていなかったから、何かしていたらうまくいっていた。」と自分を守ろうとしているのです。深層心理的には。

それでも今日はまだあと6時間ありますね。

勉強するか仕事するかしよう。

 

三島由紀夫『実感的スポーツ論』

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記事も書いときましょう。

今日は三島由紀夫の本を紹介しておきます。

以前、私が三島由紀夫を好きなことは記事に書きました。

fecunditatis.hatenablog.com

 

ところで世の女性の皆さん、運動音痴の男性は嫌いですか??

恐らく90%近い方がキライ、キモイと思っていることでしょう。

私が女性だったらキモって思います。

運動音痴に厳しい世の中ですね。

運動のできる男子に生まれたかった。。。。

そうです、私も運動音痴です。

三島由紀夫も運動音痴だったのですが、それがコンプレックスで中年になってからボクシングやボディビル、剣道を始めます。

そんな三島由紀夫が自分のスポーツの経験を通して書いたのが、タイトルの『実感的スポーツ論』です。

これは下記書籍に収録されたエッセイ?なのですが、ページ数としては10ページ程度でサクッと読めます。

気になる方はぜひ手に取ってみて下さい。

三島由紀夫『荒野より 新装版』

荒野より - 新装版 (中公文庫)

荒野より - 新装版 (中公文庫)

 

冒頭の引用です。

 今私がいっぱしのスポーツマンのような顔をすれば、むかしの青白き文学青年時代の私を知っている友人たちは、ちょうど成り金がむかしの貧乏を隠すのを見るのに似た、軽蔑的な笑いをもたらすにちがいない。しかし、仮面もかぶり通して十年たてば肉づきの面になるごとく、私も体育の世界に親しんでかれこれ十年になろうとする今、多少、体育について語ってもよい時期が来たと考える。

(中略)

 私が人に比べて特徴的であったと思うのは、少年時代からの強烈な肉体的劣等感であって、私は一度も自分の肉体の繊弱を、好ましく思ったこともなければ、誇らしく思ったこともなかった。それにはひとつには戦時の環境が、病弱を甘やかすような文学的雰囲気を用意してくれず、弱肉強食の事例を山ほど見せられたせいもあろう。もしゴーチエが書いているような「蒼白さ」をもって誇りとするロマン派の時代に生まれていたら、私もまた、自分の肉体的条件に自足していたかもしれない。そして戦後も、弱肉強食の時代は別の形でつづき、これにアメリカ渡来の新しい肉体主義が加わって、ますます私の肉体的劣等感を強めることになったのである。

 といって私は不具ではなく、多病ですらなかった。ただ痩せていて、胃弱体質なだけのことであった。アドラーの劣価補償説を持ち出すまでもなく私の今日の生活にスポーツを不可欠のものとした原因はただ一つ、この劣等感のおかげであったと思われる。

 劣等感があったことをしっかり書いてますね。特に三島由紀夫は青春時代が戦時中とぴったり重なっているため、戦争の影響を強く受けていると思います。

三島由紀夫は昭和〇年のとき丁度〇歳です。年号の数と年齢が一致しています。)

アドラーのことも書いていますね。劣価補償説というのは、劣等感を他の何かで補おうとすることみたいですね。アドラーに関しては以前少し書きました。

fecunditatis.hatenablog.com

 それにしても、三島由紀夫の文章カッコいいですよね。語彙力も違うし、男性らしい文章がよいと思います。

そしてこのスポーツ論の最後がまたいいんです。

 スポーツは行うことにつきる。身を起こし、動き、汗をかき、力をつくすことにつきる。そのあとのシャワーの快さについて、かつてマンボ族が流行していたころ、

「このシャワーの味はマンボ族も知らねえだろ」

と誇らしげに言っていた拳闘選手の言葉を私は思い出す。この誇りは正当なもので、何の思想的な臭味もない。運動のあとのシャワーの味には、人生で一等必要なものが含まれている。どんな権力を握っても、どんな放蕩を重ねても、このシャワーの味を知らない人は、人間の生きるよろこびを本当に知ったとはいえないであろう。

 私も高校、大学で運動部に入って、会社に入ってからも社会人サークルに入っていました。(私が運動部に所属していたのは、劣等感と「男は運動しなければならない」という義務感からです。)

当時はとにかくそれに行くのが億劫だったのですが、三島由紀夫もああ言っているし、シャワーのために頑張るか。。。と出かけていたのでした。

そして、帰宅してシャワーを浴びて自分を慰めていたのでした。

社会人サークルのやつは、誰とも仲良くできず、ただ肉体的苦痛を味わうだけで辛かったため、引っ越しを期にやめてしまいました。。。

 

そういえば、歌人穂村弘さんはジムに通っていたころ、誰とも親しくなれず、裏で「修行僧」と呼ばれていたとエッセイに書いていました笑

自分も似たような感じだったと思います。

穂村弘さんは、雑誌『週刊ダ・ヴィンチ』で「短歌ください」の連載をやられている方です。

この方も発達障害ぽいような。。。

自分の不器用さをエッセイに書いているのですが、それがホント面白いんです。不器用でつらい生活もこうやって作品に昇華させることが出来るんだなと。。。

歌人の方だけあって言葉のチョイスと文章はすごいですね。。

皆さんぜひ。。。

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

 
もしもし、運命の人ですか。 (角川文庫)

もしもし、運命の人ですか。 (角川文庫)

 
もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

 

またまとまりませんでしたが、今日は以上です。

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