アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

12/28の不安:近況報告とドーナツを穴だけ残して食べる方法

目次

近況報告

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生還しました。。。。

年末年始の休暇に入りました。

ただ仕事は納まりませんでした。

どこかで会社いかないと。。。

やることが多すぎるのと自分の要領が悪すぎる。

ここ2週間くらいは、会社で寝泊まりしていたので、今日は久しぶりに自分の部屋でゆっくりしました。

ほんと辛かった。

今週月曜日は浜松に出張、火曜日は横浜に出張、水曜日は埼玉に出張、木曜日は長野に出張。。。

それぞれ打合せだったので、打合せ資料を作らねばならず、何度か徹夜しました。

一番大きな打合せは木曜日のやつでそれに向けての資料作りは大変でした。

月曜日に部長に呼び出され、

「木曜日の打合せ資料いつできる?」と聞かれました。

「水曜日でいいですか??。。。」というと

「水曜日に90点のもの出してくれるなら文句言わないけど、そうはならないよね。」

「○○君、スケジューラに色々予定入っているけど、それ見越して取り組まなきゃだめだよね、工程管理がなってない、これから気を付けていかないと

「たたきになるようなものでいいから明日の午前中見せてくれる?」

と至極真っ当な注意を受けました。

そして徹夜して火曜日の午前中に作成中の資料を部長に見せました。

部長に打合せをお願いした時の機嫌から「やばそう。。。」という感じたのですが、

案の定めちゃくちゃ怒られました。

まず資料についてダメ出しを食らった後

「これちゃんと自分の頭で考えてやってる??」

「さっきから○○くんが言っていることとこの資料に書いてあること一致してなくて、とても自分の頭で考えてやっているようには思えないよ」

確かにほぼ一夜漬けの資料なので自分で考えたことは多くありません。。。

そして部長は資料作りの方向性を示してくれたのですが、自分が「あぁ(なるほど)」といった相づちを打つと「あぁ、じゃないよ。言われた通りにやるんじゃなくて、自分の頭で考えないと。指示受けてやってるだけなら派遣さんと変わらないよ?」

と言われました。

この他、次に繋げるための業務でここでうまくいくかいかないかが鍵となるため、もっと責任感をもって取り組んでくれ(足を引っ張るなよ)という注意も受けました。

部長の語気が強めでその場をやり過ごすのにとても緊張しました。

仰る通りその業務は部長がとても力を入れている業務なので、足を引っ張るわけにはいきません。

ただ頭では分かっていてもバタバタで十分に時間を割くことが出来ませんでした。

その後、出張に行き会社に戻ってから資料を作るという作業を繰り返しました。

そして木曜日、客先に資料を提出し、自ら説明をさせてもらいました。

今までその業務では客先で発言するのことにNGが出ていたのですが、なぜか今回は自分で説明する機会を与えてもらいました。

客先での打合せ終了後、同席していた部長よりも偉い上司から「説明うまかったよ。随分落ち着いて説明するから吃驚した。」と褒めて頂きました。

その方はかなり頭のキレる方で少し怖いなーと感じていたので、そんな方に褒めてもらって嬉しかったです。

自分は褒められて伸びるタイプなんだよなぁ。。。

部長からの一言はありませんでしたが、部長は褒めないことで有名なので、きっと部長も心の中では褒めてくれているだろうな~と勝手に想像しました。

部長の前で客先説明したのはこれが初めてだったので、これで少しは認めてもらえたかなと。次も説明を任せてもらえると嬉しいです。

そういえば書いていて思ったのですが、私は人からどう思われるかを気にしすぎですかね??

上司に褒められて怒られて一喜一憂しているという。。。

 

まあ、とにかく大変な一週間でした。

そして昨日、部長とはお互い笑顔で年末の挨拶をしてお別れしました。

念のため書いておきますが、私は部長に対する文句を書いているわけではありません。部長はかなり仕事が出来る方で、職場では尊敬の対象になっています。そんな部長から注意を受けることが多少ストレスにはなっているので、ここをストレスのはけ口にしているだけです。念のため。

今日あったこと

昨日は定時であがり、同期と飲みに行って暴飲暴食をしたので、今日は15時くらいまで寝ていました。

それから東京駅前にある丸善に行きました。

仕事が忙しくなかった時期はよくここの理工図書売り場に行くのが習慣でした。

東京駅前の丸善は東京駅丸の内口から徒歩数分のoazoという商業ビルの中に入っています。

イルミネーションはまだありましたが、駅前の大通りの方のイルミネーションは撤去されていました。

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東西線ユーザーであることと、出張でよく利用するので東京駅は何回も来ているのですが、何度行ってもきれいなところだなーって感動します。

それに東京のど真ん中にいるんだなって思うとどきどきします。(大手町で働いてみたい。)

私は田舎の生まれなので都会には憧れがあります。

帰りに「いきなりステーキ」に行きました。いきなりステーキにも何度も行っていていつも注文の仕方は決まっています。

  • ワイルドステーキ450g
  • ライスとスモールサラダのセット
  • ライス大盛
  • 付け合わせのコーンをブロッコリーに変更
  • よく焼き

ちなみに私は世間でいうぶーでーではありません。身長176で体重54のがりがりです。

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最後にミスタードーナツでドーナツを買って帰宅しました。(ポンデリングうまー)

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(風呂・トイレ共同の独身寮でキッチンのない部屋に住んでいるので食器を持っていません。。。)

なんか人生最後の日みたいなお金の使い方をしてしまいました。

まあ、ボーナスも出たしいいでしょ。。。

写真の右の本は今日買ったものです。大学時代に一度読んだのですが、なぜか数年の時を経て文庫化されたので、懐かしくて買ってしましました。

ドーナツを穴だけ残して食べる方法

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上記の本、タイトルがとても興味深いですよね。大阪大学のプロジェクトで作成された書籍みたいです。

2019年9月2日 第1刷発行」と最後のページに記載がありますが、これは文庫化されたものの発行年月日であって実際はそれよりも前にソフトカバーのものが発売されています。

2014年2月に本が完成したと本書の中に書かれていますので、私が学生の時に手にとったのもそれくらいの時期ということになります。かれこれ4、5年前になりますね。

内容は「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」についての大阪大学の教授たちの考察です。

工学、美学、数学、精神医学、歴史学、人類学、応用化学、法学、経済学。。。。

それぞれの学者が結構真面目にドーナツの穴を残すことについて考察しています。

難しくて全部読んでいないのですが、私は第2章の美学と第3章の数学の考察が気に入っています。

 〇第2章ドーナツとは家である―美学の視点から「ドーナツの穴」を覗く試み

美学の視点からすると本物のドーナツとは、本性界(「イデア」の世界)にある神が作った唯一のドーナツのこと(まさにドーナツであるところのもの、ドーナツそのもの)であって、食べることは出来ないのであるから、そもそもドーナツの穴はなくなることがない。。。となるようです。

また、「本性界から遠ざかること第二番目」の食べられる現実のドーナツについても考察されています。

食べられる現実のドーナツに対しては、ドーナツを食べた際に、その匂いと味わいからかつて食べたドーナツの存在を思い出すのであって、ドーナツの穴は無くなるどころか、記憶によって増殖していくという回答されています。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』で主人公が紅茶に浸されたマドレーヌを偶々口にし、その味と香りを介して叔母さんの家とその周囲の建物と町全体を明瞭に思い出すというシーンが参考にされています。

またドーナツの穴を「場所」として捉えると、「ドーナツとは家である」と言えるとも書かれています。

ここでは地理学者のイーフー・トゥアンが「場所」と「空間」という概念を別々のものとして捉えていることが取り挙げられています。

以下、引用です。

「場所」とは、「容易に取り扱ったり移動させたり」できるようなものではなく、むしろ「そこに住むことができる対象」であって、そこには「価値が凝固」している。つまり「場所」とは、長い間の暮らしを通じて、思い出と愛着が染みこんでいるところなのである。

(中略)

典型的な「場所」が家や故郷であることは明らかだろう。そこには個人の濃密な記憶が結びついているからである。

「場所」というものは記憶と結びついたものであって、かつて住んだ土地を眺めたときに、たとえそこに当時住んだ家が存在していなかったとしても「場所」として認識されるものである。だから、子供のころから親しまれたドーナツ(の穴)も、ドーナツ自体がなくなっても「場所」として認識されるということです。

「場所」というのは家のことであってドーナツの穴(ドーナツ)を場所として捉えるなら、ドーナツは家であるといえるということらしいです。

これを読んだ当時はこんな論法を大真面目に書いていることにニヤニヤが止まりませんでした。こうやって独自の理論を構築するのは面白そうですね。

 

〇第3章とにかくドーナツを食べる方法

この章では、低次元トポロジーと呼ばれる分野の話題「絡んだ2つの輪は4次元空間では必ず外すことができる」による論理的トリックを用いてドーナツの穴を残してドーナツを食べる方法が論じられています。

まず、ドーナツの穴を残して食べるということを「友人がドーナツの穴を認識したままドーナツを食べる」と再定義しています。この「ドーナツの穴を認識して」というのは、ドーナツの穴に指で作った輪を引っかけることと定義しています。

現在私たちのいる空間は3次元空間であるけれど、上記の論理的トリックを用いて4次元空間上で友人の指の輪からドーナツを外して、ドーナツを食べれば、友人に「ドーナツ食べたよ」と伝えるまでは、友人がドーナツの穴を認識したまま、自分がドーナツを食べることができる。つまり、ドーナツの穴を残したままドーナツを食べることができるというのです。

 なぜ4次元空間上では絡まった2つの輪が外すことができるのかは詳しく書かれていませんが、この理論を説明するのに一つ重要な考え方が説明されています。

それは「次元が1つ増えると自由度が増える」ということです。

この本で説明されている例をそのまま用います。

例えば二次元空間上に描かれている円を牧場の柵としたときに、その円によって牧場の内と外と空間が二分されます。その中にいる馬は二次元空間上では柵を飛び越えることが出来ませんが、三次元空間上では柵を飛び越えることができるわけです。

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本書p.102を参考に作成

上記の例のように次元が一つ増えると自由度が増えます。したがって、4次元空間上であれば、2次元空間から3次元に増えたときに円の内側から外側に移動できるように、絡まった2つの円を外すことができるということです。

私は日常の中で不自由を感じることがあると、いつもこの次元と自由度の話を思い出していました。自分は二次元空間上に描かれた牧場の中の馬なんだと。。。。

(別に自分が何かできないことの理由を環境のせいにしているわけではないですよ。。

ただ持って生まれた能力という点でできることと出来ないことがあるのは確かだと思います。)

以前「コンビニ人間」について記事を書きましたが、この記事に書いた「自由度」という言葉はこの本の数学のことを少し頭にイメージして書いています。

fecunditatis.hatenablog.com

そんなわけで、この数学の考察は読んだ当時から結構心の中に残っているのでした。

別の章にも興味ある方は、ぜひ購入してみて下さい。

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 (日経ビジネス人文庫)

ドーナツを穴だけ残して食べる方法 (日経ビジネス人文庫)