アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

5/30の不安:自分が対人恐怖となったと考えられる3つの原因

自分が対人恐怖となったと考えられる3つの原因

 

 今日は昨日のことが頭に残っていて気分が晴れませんでした。

そのせいもあってか、身体が妙に重くずっと横になっていて気付いたら(というか起きたら)18時でした。メンタル弱すぎィ!

そこから部屋を少し片付けて、ご飯を食べました。

ずっと鬱々としていましたが、いつもよりマシだったのは、「これも一時的な気分の落ち込みさ」と思えたことでした。そこから少し気分が楽になりました。

 昨日はずいぶんと悩みましたが、先週は、タイトルにある「対人恐怖」についてあれこれ考えていたのでちょっとだけまとめておこうかと思います。

なんか毎日自信をもって過ごせたらいいのになって思うのですが、どうしても誰かと一緒にいると、特に誰かと仕事をしているとどんどん自信が無くなっていきます。

 

なんでこんなに人が怖いんだろうなーって今でも疑問に思います。

学生の頃、バイトの店長に「△△がお前のこと『対人恐怖症なんじゃないか』って言ってたぞ」と嫌味っぽく言われたことを今でも覚えています。

私の学生時代についてはこちら↓↓fecunditatis.hatenablog.com

 

当時からそんな感じだったんですよね。学生の頃に「コミュ症あるいはコミュ障というからには、これは何かの病気か障害であって、きっと原因があるに違いない」と思い、色々と調べました。

自己愛性パーソナリティ障害なのか、アスペルガー症候群なのか、注意欠陥多動性障害なのか、対人恐怖症なのか、社交性不安障害なのか、HSPなのか、アダルトチルドレンなのか、愛着障害なのか、、、etc

学生時代は気分的にも落ち込んでいて無気力状態でしたので、上記以外にもスチューデントアパシーなのか、躁うつ病なのか、解離性同一性障害なのか、、、等々も簡単にではありますが調べました。

そして、有力なのはアスペルガー症候群だとの結論に至りました。

ここで一つ謝らなければならないことは、ブログのタイトルにある「アスペのグレーゾーン」についてはあくまで個人的な見解であって正確な診断があったわけではないということです。そのため、サブタイトルでは「(仮)」としています。

これについて、不快に思われる方がいらっしゃるとすれば、申し訳ないことだと思います。すみません。

ただ、私が何かしらの原因でコミュニケーションを中心としたその他様々なことに悩んでいることは事実です。それについて少しでも理解して頂ければと思います。

また、私が例え「アスペルガー」で無かったとしても、「アスペルガー」をキーワードに情報を収集すれば、個人的に有力な情報に辿り着くことができますし、それらの情報を駆使することで、コロナの患者にAIDSの薬が投薬されるように、直接的でなくても間接的に自分の症状を改善させることができると思っています。

私は過去に3回ほど心療内科に通っていますが、アスペルガー等の診断テストのようなものは受けていません。自ら受診を断っています。(恐らくそのようなテストは、日常の言動等について回答し、その程度を判定するようなものだと思いますが、どのように回答したら、そのように判定されるのか想定がついたからです。)

また、心療内科の先生にも「話してみてそういった障害があるようには思えない」と言われています。これには実際にそうである部分もあると思いますし、心療内科に行くとうまく悩みを相談できないということがあると思います。

当時鬱々とした気分でしたので、これ以上悪化する前に手を打とうと思って心療内科に足運んだわけですが、あれほど悩んだにも関わらず、いざ心療内科の先生を目の前にすると、なぜか自分でもびっくりするくらい明るく振舞ってしまうのでした。(いざ生身の人間を目の当たりにすると自分の闇を晒すのが恥ずかしくなってしまうのかもしれません。それに自意識が働いて、自分の「できなくて悩んでいること」が話せません。)

それで「そのようには見えない」と言われると、「他人にそう見えるなら、自分が悩んでいようが悩んでいなかろうがどっちでもいいことだ」と一人合点して、その場を後にしてしまいます。

その後やはり、自分じゃどうにもできないと思って再度足を運ぶわけですが、同じことの繰り返しです。

まあ、心療内科の先生は自分の苦労をわかってくれないと思ったこともありますが、実際に、私の悩みや不安の絶対量が少ないのかもしれません。それでも辛くて辛くてどうしようもないというときもあるわけで、この状況を打破したいと考えているのもそれまた事実です。

あれこれ自分で考えても仕方がないので、専門の方に聞くのが一番かと思いますが、私のように軽度の症状?の者にはあまり取り合ってくれないイメージもあります。

それに対人恐怖症的なものについては、下記書籍『青年期の対人恐怖』には30歳になる頃に症状が軽減すると書かれていますので、今はもう少しの辛抱だと思って我慢しています。

  笠原嘉(1977)の青年期延長説を根拠に、対人恐怖の人たちは「30歳前後になると、長かった苦悩から解放され、少なくとも今までよりは楽に社会的参加ができるようになる」ということから、人格成熟の一つの節目がこの頃にあると推定し、青年期は30歳までという説に同意している。今では青年期の終期が24、5歳だという説に同意する人は少なく、30歳を過ぎないと大人とは思えない。

 

30歳以降にも対人恐怖を訴える人がいるとも書かれていますが、それもあることだとは思います。結局人間の成長と言うのは、人と接すること、対話することで促されるのであって、ただみんなと同じ時間を過ごしたからと言って自動的に大人になるものでもないと思うからです。

下記記事にも書かれていますが、精神的に自立するためには、自立した方とのコミュニケーションが大事ということです。

self.hatenablog.com

 

以下では、自分の対人恐怖的となった原因をいくつか提示したいと思います。色々考えられるわけですが、時間もないので簡単に説明できるものに留めます(あくまで素人・個人の推測です)。

まず、対人恐怖症とはどういうものなのかというところを説明しておきますが、再度『青年期の対人恐怖』の内容を引用します。色々と説はあるようですが、個人的に一番印象に残った説明はこれです(ほぼ孫引き状態になります)。

 森田は「対人恐怖は、恥ずかしがる事を以て、自らふがいないことと考え、恥ずかしがらないようにと苦心する負けおしみの意地張り根性である(森田正馬・高良武久,1593,p.17.)」といっている。さらに「恥ずかしいということは、何を意味するか。それは、人から嫌われないように、好かれたい。劣等のものと思われず、偉いものと見られたい、という感情である。言いかえれば、人から良く思われたい欲望で、即ち同時に、悪く思われはせぬか、という恐怖である森田正馬・高良武久,1593,pp.18-19.)」という。対人場面で、悪くは思われはしないかという恐怖と、負けおしみの意地張り根性が葛藤して、その場にいたたまれなくなるのが対人恐怖であるといえる。

また、別の方(近藤章久(1970))が上記の説を引用し説明するには、

対人恐怖は二つの要請――配慮的要請(人に好かれ、よく思われなければならぬ)と自己主張的要請(人に優越しなければならぬ)――の間の矛盾による葛藤、それにもとづく不安を性格とするもの

となるようです。

自己主張的要請(人に優越しなければならぬ)は自分に当てはまるのでよくわかります。自分は大人しそうな顔をしながら腹の底ではそんなことを考えているんですよね。そのくせ、何もできないのですが。。。

気の弱い奴ほどそんなことを考えるんです。三島由紀夫金閣寺』の解説本『金閣寺の世界』(竹原崇雄)があるのですが、その一文を引用します。

 磯田光一氏が言われるように「肉体的な脱落者は、その反面、精神的な強者としての自覚をもって生きはじめ」るものであるならば、残酷なるものの中にこそ美が存在することを将来への意志として抱く吃りの少年が、「自分はひそかに選ばれた者だ」と考え、「私自身の知らない使命を持つ」ようになるのは当然の道程であった。

三島由紀夫金閣寺の世界

三島由紀夫金閣寺の世界

 

 

私は小さい頃から運動音痴であることをコンプレックスにしていたので、運動ができない分、人より勉強ができなければならないとずっと考えて生きてきました。結局のところ自分より賢い人なんて五万といるわけで、自分は何者でもなかったのですが、今でも人に優越したいという気持ちは密かに持っています(特に勉強で)。。。

運動音痴についてはこちら↓↓

fecunditatis.hatenablog.com

 また、私が運動音痴なのはアスペルガーだからと睨んでいます。

なぜアスペルガーだと不器用になってしまうのか、脳機能の観点から説明されている文章を『アスペルガー症候群』(岡田尊司)から以下に引用します。

 その中でも、とりわけ目立ったのは、小脳のプルキンエ細胞と呼ばれる大型の細胞の数が少なく、未発達なことである。プルキンエ細胞は、協調運動において中心的な役割を担っている。その後、画像研究により、自閉症の人では、小脳虫部と呼ばれ領域が平均して小さいことがわかった。

(中略)

 近年、不器用さや作業速度の遅さが、視覚的な処理の問題によって起きているとする、別の仮説も提唱されている。視覚の伝達経路には、反応は遅いが明暗しか伝えないマグノ系と、反応は速いが色彩を伝えるパルボ系がある。素早く点滅させた図形を見せたとき、図形の変化に対する反応が、自閉症では遅いことがわかり、マグノ系の働きが悪いと推測されている。

アスペルガー症候群

アスペルガー症候群

 

 

これだけ読むと本当に劣っているんだな~と思ってしまいますが、安心してください。

脳の神経系の量は一定みたいなので、どこかの脳神経の密度が小さいということは、別のところが濃くなっている可能性が高いようです。きっと不器用な分、得意こともあるでしょう。私も学生時代に大学の先生から「お前は得意なことはめちゃくちゃできるけど、できないことはめちゃくちゃできないな。」と言われたことがあります。

芸術関係に才能がある人は、脳の神経系の芸術に対応したところ、特に側頭葉の上端付近に位置する角回と呼ばれる部位がとても発達しているといわれています。音楽好きな人は、聴覚に関係した側頭平面などが発達しています。神経の密度が高いのです。医療機器を使った脳神経の密度の測定や研究によって、そのことが示されています。

 ただし、神経系の総量は一定だといわれています。つまりこれは、芸術的な神経系が発達していれば、それ以外のどこかは未発達になっていることを意味します。

書き方が逆ですが、そういうことです。下記書籍からの引用しました。

 出典が書かれていませんので、真偽のほどは定かではありませんが、参考にしてもいいかと思います。

長くなりましたが、以上をまとめると、私が対人恐怖である原因は、生まれつきアスペルガーだったがために運動音痴であり、それが原因で自己主張的要請(他人に優越しなければならない)が強くなり、心理的な葛藤が生じたから、と言えそうです(あくまで推測です)。これが、「運動音痴だったから説」です。

あと、もう2パターンの可能性を考えています。

その一つが「エディプスコンプレックス形成不全説」です。

これは、父親との関係が本来あるべき姿ではなかったがために、自我がコントロールできなくなるというもので、前述の『青年期の対人恐怖』で提唱されています。

少々長いですが、これも引用します。

青年期に家族から出立して社会へ参入していくときまでに、個人はその社会の秩序を受容していく心的態度が形成されていることが期待されている。このような心的態度は青年期に急造されるのではなく、幼児期から準備されていて、その基盤が準備されている。

(中略)

  フロイトはこのような基盤が形成されるのが、3歳から5歳にかけての男根期であるとし、その時期に男の子は母親との性的結合を願い、一体化していつまでも一緒にいたいと望むエディパルな願望から、父親を殺害したいという願望を抱くようになる。このエディパルな願望は、露見すると父親から男根(ペニス)を切り取られるという去勢不安によって断念させられる。エディパルな願望が去勢不安によって無意識へ抑圧されるときに形成されるのが「エディプス・コンプレックス」といわれるものである。父親の絶対的な力に屈して、そのような力を獲得できるように、父親を見習って、すなわち同一視して、父親になろうと努力する。父親のもつ既存社会の規範、行動原理を内面化したものが「超自我」である。

(中略)

ところが、現在の社会は父権制家族制度は解体へと向かい、父親の権威も失墜し、社会の価値観も多様化しているため、幼児期以来形成されてきた「超自我」による自我のコントロールが弱体化しているという背景がある。

 エディプスコンプレックスが対人恐怖の原因と考える場合には、エディプスコンプレックスが形成されなかったため、自我をコントロールする超自我がなく、自己承認欲求が強くなってしまい、そのために他人によく思われたいという気持ちが強く出てしまうと考えられます。

また、解釈が異なるかもしれませんが、父性的な存在が心理的に不在となると、男性的なロールモデルがないため、自分が大人になった時の姿が想像できないということも考えられそうです。特に私は父性的な存在(威厳のある人)が苦手です。

ちなみに、エディプスコンプレックスは西洋的な文化を反映した考え方であって、日本の家庭に当てはまるかは議論の余地があるとのことです。「阿闍世コンプレックス」なるものもあるようです。

 

そして、私が対人恐怖となった原因としてもう一つ考えられるのが、「愛着形成不全・オキシトシン受容体少量説」です。

社会性ホルモンとも呼ばれる「オキシトシン」の分泌量が幼児期に少なかったために、愛着形成が不全となり自閉的な症状(特に対人的関係に不安を覚える等)が現れると考えるものです。

オキシトシンはスキンシップで分泌されるので、幼児期には母親がたくさん抱っこをしてあげることが大切です(恐らく)。幼児期に抱っこをせず、ただご飯だけを与えるという人体実験を行ったら皆亡くなってしまったという話も聞いたことがあります。

またオキシトシンの受容体の分泌量は幼児期(1歳程度)に決まるといわれており、この間にオキシトシンの分泌量が少ないとそれに応じた受容体しか分泌されなくなります。幼児期にどう過ごすかが成人後にも影響するということです。

私は先天的に心臓の病気があり0~1歳のときに手術をしているので、この間母親の手元を離れています。また生まれたときは未熟児であったため、ほとんど抱っこされていなかったのではと考えています。(私の心臓病は完治しています。また心臓病とアスペルガーは高齢出産が原因ではないかとも疑っています。高齢出産反対!)

そのためにオキシトシン受容体の分泌量が少なくなってしまい、今の状態になっているということです。

ちなみに、リズム運動や日光浴でもオキシトシンは分泌されるようです。

アスペルガー症候群うつ病改善のための、鼻にスプレーするオキシトシンみたいなものもあるようですね。受容体が少ないのなら、沢山供給するしかありません。

長くなりましたが、以上です。

自分が対人恐怖的になったと考えられる原因を説明しました。

①「運動音痴だったから説」

②「エディプスコンプレックス形成不全説」

③「愛着形成不全・オキシトシン受容体少量説」

 

おやすみなさい。