アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

7/19の不安:三島由紀夫『青の時代』新潮文庫

目次

三島由紀夫『青の時代』新潮文庫

 タイトルの本読みましたー。

青の時代 (新潮文庫)

青の時代 (新潮文庫)

 

 『青の時代』は、『高利金融会社「光クラブ」を経営していた東大法学部三年の山崎晃嗣が、物価統制令銀行法違反に問われ、三百九十人の債権者と三千万円の債務を残して挫折、整理の結果、最後の三百万円が工面できずに、二十七歳の身に青酸カリをあおって自殺したという』実際にあった光クラブ事件を題材にした小説です(『』内は小説の解説より引用)。

三島由紀夫当時25歳での作品です。

正直、主人公の誠とその他の重要登場人物である愛宕(おたぎ)や燿子(てるこ)との問答が後半出てくるのですが、その内容はさっぱり理解できませんでした。想像以上に難解です。

仮面の告白』が書かれたのが24歳ですので、今更驚くことでもないのですが、どんな頭してるんや!という印象を受けました。

その他、二・二六事件、英雄主義、富士山の麓での強行軍の話、色白文学青年のゴーティエの話、戦後、共産党、法学、自殺、等々。。。。

小説に入っている要素は前にもどこかで聞いたことのある内容で、三島由紀夫らしさを感じました。

それに、ところどころいい得て妙な表現もあったりして面白く読めました。解説にもアフォリズム(格言)の切れ味がすごいと書かれています。

主人公・誠のアスペルガー的描写

 また、こじつけですが、前半の主人公の描写にはアスペルガー的な特徴が多く描かれていたように思いました。

三島由紀夫アスペルガーを関連付けた文章はあまり見かけないので、ここで持論をぶちまけておこうと思います。

以下に、無粋ですが、自分がそうではないかと思った箇所をただただ引用していきます。

まず、冒頭から主人公の誠には自然さが欠けていることが書かれています。

この子にはどことはなしに自然さが欠けているというかすかな懸念は、あんまり聡明ではない代わりに直感には秀でた母親の人知れぬ悩みの種子になった。

 

そして、この主人公の誠は幼少時に文房具店の軒先に吊り下げられている風を受けるとくるくる回る煙突ほどの大きさの鉛筆の模型を欲しがるのですが、これについても以下のように書かれています。

誠が他の子供と違っていた点は、手に入れて遊ぶのが目的で玩具の電気機関車をほしがるのと相違して、ボール紙細工の模型にすぎない大きな鉛筆を、目的もなく欲しがっていた点である。

 くるくると同じ運動をする物体にとらわれているところは、視覚情報が優位になっているからではないかと思いました。

 

そして、中学生になった頃、一人の女性が軍用トラックに轢き殺されてしまうシーンがあるのですが、誠は女性に対して何の共感もなくただ死体を観察するという少しサイコパスな一面を見せます。

すこしも感情を動かされないでこんな身の毛のよだつものを見ていられる自分を感じることが、快くもあったし、得意でもあったのである。

『こうして死ぬのだな。こうやって、指を赤ん坊のようにして・・・』

 誠は細大洩らさず観察して憶え込んだ。人間はどうやって死ぬものかという知識を習得した。

「自分を感じることが、」と書いてありますね。ベクトルが死人ではなく自分に向いているところがアスペルガーぽいのではないかと私は思います。

 

また中学時代にはルールに従順で真面目なところを買われてか、風紀係を務めます。

 誠は級長で風紀係を兼ねていたが、打見たところ彼以上の適任者は見当たらなかった。ズボンの筋も毎日明瞭なら、カラーも汚れていず、爪も伸びていなければ、頭もしじゅう青々と刈り込んでいる。

(中略)

 風紀係の誠は自分に負わされている道徳的な義務に半ばはまじめ緊張しながら、半ばは犯人から情事を根掘り葉掘りきき出してたのしむ刑事の知的享楽を学ぶにいたった。

 

そして優秀な高校に入学してからの描写は以下のようになっています。

 御多分にもれず誠もまた、入学匆々カント哲学に熱中したが、二十年間おんなじ帽子をかぶっていたこの哲学者は、毎朝かならず五時に起き、夕方には市民が時計の代わりにしたほど正確な時刻に散歩をした。

(中略)

 誠がカントかぶれの機械的な生活に固執したのは、知的探求というものは、合理的な生活を、つまり知識の合理的な体系の投影のような生活を要請し、それをわれわれを否応なしに道徳的にならしめると考えたからであったが、

(中略)

こんな生活法の固執は、早速彼を寮の共同生活のなかで、少しばかり孤独にさせた。「とっつきにくい」という批評が、いつかは誠の肩書になった。

服装に無頓着であったり、時間に正確であったり、固執的なところがあったりと、これらの特徴もアスペルガーぽいと言ってもいいのではないかと思います。

固執は「こだわり」とも言っていいと思いますが、最後はこだわりが過ぎて孤独になっちゃっていますね。。。。

 

その後、バーで知り合った女性に恋をするのですが、以下のように恋愛を成就させるための作戦(手順)を練ります。

  1. 彼女の名前を聞くこと
  2. 彼女に手紙を渡すこと
  3. 手紙の返事をもらいやすいために、最初の手紙は無邪気らしく見せかけること
  4. 手紙は三度まで無邪気に書き、安心させた上、散歩に誘うこと
  5. 一緒に映画を見に行くこと
  6. 四度目の手紙で仄めかしてやること

ところが、一つ目の「名前を聞くこと」が達せられない(本名を教えてくれない)ばかりに二つ目の計画に進めず、ひたすら名前を聞きまくってドン引きされるという事態に陥ります。

 ここらあたりから誠の人柄のユニークなところが彼の現実生活を左右するまでにいたるのだが、折苦心して立てた予定の第一項がすまないうちは、彼は臨機応変に第二項を先に片附けるという行き方ができなかった。そんな固執は試験の際などはもっとも歴然とあらわれて、かれは試験問題を必ず第一問から解きはじめ、第二問がいかに易そうでもそれから先にやったりすることは断じてなかった。この頑固さは殆ど迷信にちかいもので、彼にはそうしなければ、第二問以外も次々と崩れてゆくように思われ、ひいては人間生活の構造もそういう厳格主義でもって理解されるに至った。

ゼロイチ思考というか完璧主義というか。。。これは自分もわかる気がします。

 

己に忠なるあまり図々しくみえる彼の酒場での同じ質問のくりかえしのほうが、どんなに女たちの目に悪趣味に映っているか、そのへんは察しがつかなかった。

(中略)

そんなつれなさを恋の兆候と判断する己惚れが誠にあればまだしも助かったのに、彼は顕微鏡にしがみついて離れない細菌学者の学究的良心で、彼女の本名のことばかり考えていた。

空気が読めていませんね。それにここでは「こだわり」が「学究的良心」と表現されています。ある意味、いい得て妙。

 

そういえば、誠は弓道部に所属していました。

 芸術的なことに一向に興味がなかったので、それならいっそ、ボート部やラグビー部のような羽振りのいい運動部へ入ればよかったが、彼は運動エネルギーをできるだけ節約して、知識慾の満足に充てたかったので、あんまりくたびれないですみそうな弓道部を選んだのであった。

アスペルガーの方はチームプレーを好まないので、学生時代は陸上部や、柔道部、卓球部等に所属していることが多いと聞いたことがあります。

 

高校卒業後は東大法学部に入学します。

大学時代には独自に「数量刑法学」の体系化に勤しみます。どうやらこれは実話みたいです。

この数量刑法学というものは、人間感情を定量的に評価するという点で、アスペルガーらしい考え方、というより、アスペルガー的秀才が考えつくような理論ではないかと思います。

またこうした独自の理論を構築するところはアスペルガーの長所でもあると思います。

のちに彼自身これを数量刑法学と名付けたように、誠は量刑に当って、あらゆる物質的損害と精神的損害を同一尺度で計量するために、あらかじめ人間感情を数十の要素に分類し、これにいちいち原子量のような数量を与え、ある事件に対する各人の精神的反応はすべてこの数十の要素の結合につきる、とした。

以上が、私が主人公誠の描写でアスペルガー的だと思った箇所でした。

大学に入学してからが話の後半で、これ以降から高利金融会社設立の件りが始まります。 

前半は主人公の描写に尽きるのに、後半は実際の事件が題材となったストーリー展開で、前半と後半との調子の違いについては解説でも触れらています。

 

どうでしょうか。多少はこじつけもありますが、主人公はかなりかっちりしていてこだわりも強い人物であることは確かだと思います。

その他の部分でもわかるなーなんて思った部分もあります。それなので、読んでいると自分の心にこの小説がぴったり嵌るような感じがして読んでいてとても気分が良いです。

三島由紀夫の作品はだいたいにおいてこんな感じなので、今回の記事で興味を持たれた方は他の作品にもチャレンジしてみて下さい。

今日は以上!