アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

5/13の不安:9年前に見たお店でご飯を食べたよっていう話(大学生活の総括)

大学生活の総括

 先日ふと9年前の大学入試前日に見た景色のことを思い出したのでした。

それは試験前日に宿泊していたホテルの窓から眺めた景色で、覚えているのは路上沿いにコンビニがあり、その近くに中華料理店と思われる黄色い看板とオレンジ色に点滅するランプが見えたということだけです。

今日になって、あのお店は本当に中華料理屋だったのだろうかと考え出し、大学時代にほとんど足を踏み入れていなかったその近辺に仕事終わりに足を運びました。

果たしてその9年前に中華料理屋だったと思っていたお店はラーメン屋だったのでした(まだ黄色い看板あった!)。

特にお腹がすいているわけでもなかったのですが、記念にそこでラーメンを食べ、物思いに耽りました。

大学在学中近くに住んでいたにもかかわらず、なぜかこの近辺に来ることはありませんでした。私は不本意入学を果たした身なので、恐らく当時の記憶にいい思い出がなかったからだと思いますが。。。

9年たってもあの時の気持ちは消化できていないわけですが、それでも今こうやって自分のお金でご飯が食べられているということに幸せを感じました。

また当時、わざわざ父親が受験会場まで付いてきてくれていたのですが、私は父親が大学在学中に死んでしまうものだとずっと思っていました。なにせその時すでに定年間近の年齢でお世辞にも健康そうとはいえない見た目をしていたからです。

そんな父親もあれから9年分老けましたが、まだ元気に暮らしています(いいことです)。

9年間長かったようで、短かったようで。。。

大学の不本意入学に始まり、そこから色々と嫌なことを経験しました。(もちろんその間楽しい思い出も作れましたが。)

元々保守的な考えでしたし、親の顔色をうかがってずっと生きてきたので、自分のやりたいことも見つからず、大学に入学してただ茫然と過ごす日々が始まりました。運動が苦手でずっと勉強だけが取り柄で生きてきたのに大学入試に失敗し、その取り柄だった勉強さえももう自分の手の届かないところにあるような気がしました。実際にその通りで大学受験の勉強が分からなければ、大学の講義自体もわかるわけがありません。自分とは何かという一般的なアイデンティティの問題に衝突しました。

勉強にも身が入らず、大学以外では飲食店でのバイトを始めましたが、店長にいびられる一方でした。

しばらくそんな感じで自分に自信がなく、自分から人に声を掛けることが出来ずに大学では交友関係が広まりませんでした。大学2年生になった時、数少なかった友人とも課程でコースが分かれたのをきっかけに交流はなくなりました。

大学で独りぼっち。。。

ほんとにぼっちになるんだ。。。

友達が出来ないのは自分に魅力がないからだと考え、そこから自己否定が始まりました。大学でバカ騒ぎしている同級生の話を聞いてみると冗談を言い合ったり、ゲームの話をしたり、野球の話をしています。

自分は冗談も言わないし、ゲームもしないし、野球も知りません。そんな何もしない・できない自分は人間として出来損ないで魅力がないのだと、そう思うようになりました。

大学が終わってからは本屋に駆け込み自己啓発本を漁りました。話し方に関する本やコミュニケーションに関する本。。。どれも読んだその瞬間は元気になっても現実に役立てることはできませんでした。

そんな中、ある1冊の本に出合いました。その名も「悩む力」。

悩んでいる自分に、いかにも悩むことはためになるんだよと言わんばかりのタイトルです。

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

  • 作者:姜 尚中
  • 発売日: 2008/05/16
  • メディア: 新書
 

 国際政治学者であり、在日韓国人である姜尚中さんが自分のアイデンティティに始まり、近現代人の悩むことについて書いた本です。そこには夏目漱石の小説がいくつか引用されており、夏目漱石の小説を読むきっかけとなりました。

三四郎」オモシロ。。。もっと他の小説も読んでみよう。小説の面白さに気が付くことができました。

三四郎

三四郎

 

 人とのコミュニケーションをとることは少なかったわけですが、本を読んで自分と会話することは多くなりました。友達がいなくても本を読んでいるうちは大丈夫。なぜかそんなことを考えていました。

また、この時発達障害の存在も知りました。コミュニケーションが苦手なこと、社会性がないこと、飲み込みが悪いこと、同じ動作の繰り返しを好むこと、チームプレーが苦手で学生時代は個人競技の部活に所属していることが多いこと、童顔が多いこと、父親が芸術家だったり技術者だったりすること、勉強は平均よりはできるけど、国語と体育が苦手であること、幼少期に首回りの感覚が過敏であること、、、どれも自分に当てはまるようで、自分が発達障害者なのではないかと疑うようになりました。

 一方、私は運動部にも所属していたのですが、一番濃い関係である運動部でも同期との関係がうまくいっていなかったのでした(運動部に所属していたのはある種の強迫観念です)。

最初にも書いた通り、私は運動が得意ではありません。試合で勝つことは滅多にありません。そのため、後輩に対して威厳を保つことが出来ず、それが原因で部の士気が下がっていると同期に目の敵にされてしまったのです。

確かに同期の言っていることもわからなくはないわけですが、部活動自体は熱心に取り組んでいたので心外でした。それから部活でも徐々に自分の居場所がなくなってしまいました。

この時なんやかんや言っても既に大学3年生でした。3年間なんとか文句を言われながらも部活もバイトもこなしてきたわけですが、無理をしていたせいかある時ぽきっと心の芯が折れてしまいました。急に周り人たちが敵のように思えてきてなりませんでした。元から人と話すことに不安はあったわけですが、そこから一切、人と話すのが怖くなってしまったのでした。

実際コミュニケーションはとれていませんでした。人の話は聞けないし、噛み合わない。ラインのグループで自分が発言するとなぜか会話が止まる。。。

これはもう縁を切るしかない。そう思って部活もバイトも辞めました。フェードアウトです。(念のため言っておきますが、バイトに関しては店長にだけ一ヶ月前に辞める旨を伝えておきました。)これで楽になれると思っていました。ところが、思わぬ落とし穴がありました。部活もバイトも人間関係が原因で辞めたということに後ろめたさを感じていたため、それが後になってぐっと自分にのしかかってきたのでした。

「やめた」ことによって自分で「うまくいかなかった」という事実を作り上げてしまったのでした。そうこう考えているうちに動悸が止まらないようになりました。朝も夜もずっと動悸がして眠れません。やっと眠れたとしても朝目が覚めると目が回ります。完全に自律神経の乱れでした。また当時とにかく身体がだるく何かする度に横になっていました。それに記憶力が低下し、再履修の講義を落としたり、大事なスケジュールをすっぽかしたりしました。

以前出来ていたことが出来なくなっている。。。

全てがうまくいかない。。。

死にたい。。。

本当に心の底からそう思っているのか定かではありませんでしたが、そういうことを考えるようになりました。

何もしたくない。。。

ただ、そうしてバイトをしていないと貯金がどんどん減ります。金銭的な余裕のなさは精神的な余裕のなさに比例すると考えて、別のお店でバイトを再開しました。そこから2年間なんとか勤め上げたのですが、毎度終わるたびに頭に血が上っているような、パソコンが熱を持った時にフリーズするようなそんな感覚が頭に残っていました。

そして個人的に衝撃的なラストを迎えました。以前も記事に書きましたが、バイトの最終日、副店長に「真面目そうに見えてミスが多いから社会人になったら気をつけてね」とのお言葉を頂いたのでした。また社員さんの間で、ミスが多いことから「チョンボ○○」とあだ名をつけられていたことを知ったのでした。

一方、大学では論文を作成するのに工程管理が出来ておらず、普段温厚な先生から叱られていました。今でも覚えています。昔はよく先生の研究室に入ると「お、どうした?」と声を掛けてくれていたのですが、論文を書き始めてからは、研究室に入っても自分から声を掛けるまでは無視されていました。声を掛けてもムスッとした返事が返ってくるだけでした。

また、よくその先生は何か説明した後に「わかったか?」と聞いてくれていたのですが、ある時を境に「はい」と返事をすると「お前の返事は当てにならんな」と言うのでした。それから今でもなるべく「分かりました。」という言葉は使わないように気を付けています。

先生に怒られながらもなんとか締め切りの1時間前に論文を提出することができました。

私は大学院まで進学し、その当時、研究室では最年長であったわけですが、もちろん同期はいませんでした。そのため、その研究室はコミュ障の口数の少ない先輩を長としていたわけで、必然と会話のしづらい空気の悪い研究室になってしまいました。あれは今でも悪いなって思っています。当時、中間発表会等で打ち上げを行うのが毎年の恒例となっていたのですが、空気が悪すぎて誰も喋らず、ただひたすらピザを食らうという地獄のような時間を過ごしたことがあります。ほんとすいませんでした。今ならもうちょっと明るく振舞えるのになって後悔しています。

大学の卒業式では、特に何も言った覚えはないのですが、その研究室の先生から突然「お前はなんとか社会でやっていけるよ」とのお言葉を頂きました。

まあ、そんなこんなでバイトも部活も研究室も苦い思い出とともに幕を閉じました。こう書いてると当時のことを思い出してほんと泣けてくる。

そんな自分でも理系でしたので、なんとか就活で内定をもらい晴れて社会人になることが出来ました。

社会人になってからも慣れない寮生活を過ごしたり、先輩が上司に「なんで○○君採用したんですか?」と聞いているのを目の当たりにしたり、上司に怒られたり、、、苦労は絶えませんでした。

それでもよかったのは学生時代に一度ぽしゃっていたことです。一度ぽしゃっているので這い上がり方は把握しています。そうして今こうして生活できているんです。長くなりましたが(「こころ」で先生が私に宛てた手紙か!)、そんな大学生活と入社して数年のことを思い出しながらラーメンを食べたのでした。

こころ

こころ

 

 よく学生の頃に戻りたいという話を聞きますが、私はもう一度学生生活を送りたいとは思いません。

ただ、最近学生生活のことをよく思い出してなんとかこの穴を埋めたいともどかしい思いに囚われています。自分はどうしたら満足するんだ。。。。

また、話は変わりますが、こんな記事を書いていたらふと「夜と霧」という本のことを思い出しました。アウシュビッツを生き延びた心理学者の本です。私は旧訳版持ってます。

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録

 

 その本には、「人生に生きる意味を問うのではなくて、人生が自分に投げかける問いにどう答えるかが大事なんだ」というようなことが書かれています。めっちゃいい言葉ですよね。つい生きる意味ってなんだろって考えてしまいますが、困難な状況にどう自分が答えるかが大事なんですね。

あれだけ過酷な環境を生き延びて言葉を残した人は数少ないですから、きっと真理に近い事柄なのではないかと思っています。

話はそれましたが、以上9年前に見たお店でご飯を食べたよっていうだけの話および大学生活の総括でした。

毎年母校でも2、3人の自殺者が出ているようです。自分より辛い環境にある大学生は山ほどいるかと思いますが、なんとか生き延びてほしいなって思います。頑張ってください。

以上。