5/31の不安:自信の付け方(何かに秀でることが大事?)
自信の付け方(何かに秀でることが大事?)
昨日、私が対人恐怖的となった原因を列挙しましたが、単に原因を分析しただけではなんの解決にもなりませんよね。
なので、どのように対人恐怖を解決するか、ということでタイトルにある自信の付け方について書こうと思います。
自信を付けたら対人恐怖が治るのかは謎ですが、自信をもって生きていきたいなと思うので、自信が付くに超したことはありません。
ちなみに以下に示す自信の付け方は、昨日の記事を何ら参考にはしていません。
昨日の記事↓↓
また、これから書くことは実体験を基にしたものではないため、説得力に欠けるかもしれません。ご了承ください。私の当面の方針です。
ということで、先に結論を言いますが、当分の方針としている自信の付け方というのは、「何かに秀でる」ことです。
仕事でも趣味でもなんでもいいので何かを極めることが大事だと以下の動画の意見に賛同しました。
TECH CAMPのマコナリ社長ですね。
身近にいたらストイックすぎてメンタルやられそうですが、動画で観る分には勉強になります。時々お茶目なところも見せてくれるので人間臭くてよいです。
動画の中では「今やっていることを極端にやってみること」がよいと説明されています。(その他の方法としては、人格否定する人から全力で逃げる、身近な人に感謝の贈り物をする、が挙げられています。)
これは私も賛成です。恐らく何かに突き抜けることができるようになる、または突き抜けた経験を持つことができれば、今の自分よりは多少変わることができるのではないかと思うからです。
自分の場合で言えば、専門的な資格を取得するとか、ある専門分野をめっちゃ勉強するとか、英語が喋れるようになるとか、ブログの記事数をめっちゃ増やす、、、とかです。
でも、実際に何かに突き抜けようと思えば、仕事以外の時間をそれに費やさなければならないので、何をやって、何をやらないかも決めなければいけないと思います。私はまだこれが出来ていません。
勉強するにしても興味のある分野がどんどん発散していってしまうので、いつまでたっても知識が水平方向に広がるばかりで、鉛直方向に深まることがありません。これはこれで教養が付いたということでいいのかもしれませんが。。。
(本を読む場合でも、ある1冊に出会うためには100冊の本を読まなければなりませんが、1冊の本を100回読むことも大事ですよね。)
勉強する際にどこまで勉強するのかという「有限化」の重要性については、下記書籍『勉強の哲学』で説明されています。
勉強のきりのなさ――深追い方向(アイロニー)と目移り方向(ユーモア)の――に打ちのめされず、ある程度で、「一応は勉強したことになる」という状態を成立させる。
情報過剰の現代においては、有限化が切実な課題です。
この本の著者の方はアスペルガーぽいです。アスペルガーの人がやりがちな会話の仕方(興味のあることだけを一方的に話し続ける等)についても分析されているので、いつかその部分について記事を書きたいと思っています。
当初は、そうしたフランスの文脈がもっぱらの背景でしたが、執筆が進むにつれて、日常的なコミュニケーション経験の概念分析が必要になり、後期ヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」論や、ドナルド・デイヴィドソンの言語論なども参照することになりました。
話を元に戻しますが、何に突き抜けるかを決めたら、やるべきこととやらないことを決めて、あとは短期間に集中して取り組むのがよさそうです。
言うは易しですが、行うは難しですかね~
とりあえず、少年老い易く、学成り難し、寸暇を惜しんで勉強せよ、ということで勉強だけは頑張っていこうと思います。。。
明確な目標が書けていませんが、以上です。
そういえば、「筋トレが最高のソリューションである」みたいな考え方もありますよね。これからTシャツ一枚で過ごす日も増えていくので、筋トレもしなきゃな~と考えています。
『勉強の哲学』にも、ある発想の一例としてですが、以下の文があります。
自分自身の筋肉を鍛える、しかも、個別の筋肉に意識を向けて鍛えるのは、自分をデッサンし、表現することであると言えそうだ――だから筋トレもまた、アートなのである。
こう考えたら、多少頑張れそうな気がします。筋トレをすることで自分が表現者になり、高尚な気分に浸ることができるという。。。
思考が発散していますね。。。何をやるか決めないと。。。