アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

12/29の不安:六本木「文喫」に行って30分もしないうちに出て来てしまった。。。

目次

今日あったこと

今日はある本について記事を書きたかったため、日本橋丸善に向かいました。

(会社には行かなかった。。。行くつもりもなかったけど。)

それにしても日本橋はきれいなところですね。

以前友人と日本橋を歩いているときにその友人に言われて気づいたのですが、日本橋ビルを照らす照明が間接的になっているので、明かりがぼんやりしていてきれいなんですね。落ち着いた感じ、上品な感じがある。

今日見た日本橋はお昼ごろの景色だったわけですが、晴れていてからっとした感じがとても心地よかったです。

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左の写真で、奥に見える高架橋のすぐ下に日本橋があります。
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右側の写真は東京日本橋タワーの地下フロアです。

告白 三島由紀夫未公開インタビュー

本日購入したのは3冊で、そのうち1冊は以下の本です。

11月に文庫化されたばかりでした。うひょー

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

告白 三島由紀夫未公開インタビュー (講談社文庫)

 

 確か数年前に三島由紀夫の未公開音源が見つかったというニュースが夜にやっていましたね。その発見された音源を書き起こしたのが本書になります。

インタビュー部分は本書の5分の2程度で、残り5分の2に評論「太陽と鉄」、5分の1が音源を発見したTBSの記者小島英人さんによるあとがき「発見のこと―燦爛へ」が収録されています。

インタビューの内容は、歌舞伎のことから始まり、小説のこと、言葉のこと、自身の小説の欠点のこと、軍隊のこと、憲法のこと等多岐に亘ります。

話すこと全部三島由紀夫らしい。

あとがきにも、音源の中の声の身元確認に関して(三島由紀夫本人かどうか確かめている)、以下のように書かれています。

(中略)「三島由紀夫らしくない」発言は特に見当たらなかった。「異常値」はなく、確からしさの傾向は明らかである。

インタビューで気に入った部分を一部引用しておきます。

理想としては、僕はやっぱり建築とか音楽とかというのが理想で、それに近づけば近づくほどいい小説だという考えが抜けないんですよ。ですから、大きなカテドラルみたいな小説が書ければうれしい。そのかわり、大きな川の流れのような小説は僕には書けないんです。

文章に難しい言葉を使うから読まないとか言われることがありますか。という質問に対して、以下のように答えています。

それが全然ないんです。僕は若い高校生なんかからもらう手紙を見ますと、難しい言葉を使ってくれるからうれしいと言うんですよ。

その他の部分でも特に『春の雪』では伝統的な語法を使っていることが書かれています。だんだん『春の雪』また読みたくなってきた。。。。

『太陽と鉄』が収録されているのはインタビューの対談相手が『太陽と鉄』を海外翻訳したジョン・べスターであり、『太陽と鉄』について三島由紀夫本人が語っているからです。

『太陽と鉄』は結構?かなり?難解で本日で読むのが3回目なのですが、理解できるかわかりません。三島由紀夫は「太陽と鉄」についてインタビューの中で以下のように語っています。

べスターさんが『太陽と鉄』を訳してくださったので非常にうれしかったのは、あそこにみんな書いてあるんです。あれを人がつまらない評論と思わないで読んでくれれば、あれを本当にわかってくれた人は、僕がやることを全部わかってくれると信じています。

ところが、僕のやってることは、自分で言うのもおかしいけれども、あんな難しい言葉を使わなければ表現できないんです。つまり、簡単にジャーナリスティックに、私はああいう気持ちこういうことをやっておりますと言うことはできないんです。あれだけの説明が絶対に要るんですよ。

『太陽と鉄』は「どうしても小説という客観的芸術ジャンルでは表現しにくいもののもろもろの堆積」を表白するために「告白と批評との中間形態」をとった評論ということで三島由紀夫にとってかなり特別な文章であるみたいです。

「僕がやることが全部わかる」ということを頭に入れて読んでみると確かに自殺の予告に近いものも読み取ることができます。

 さらに私には、そうした古典的形成の果てに、浪漫的企図がひそんでいた。すでに少年時代から私の裡に底流していた浪漫主義的衝動は、一つの古典的完成の破壊としてのみ意味があったが、それは全曲のさまざまな主題を含んだ序曲のように私の中で用意され、私が何一つ得ぬうちから、決定論的な構図を描いていた。

ここで「古典的形成」はギリシャ彫刻のような肉体美を作り上げることであり、「浪漫主義的衝動」は悲壮的な死を意味しています。恐らく。。。

この文章のあとに夭折の憧れがあったことが記されており、それが叶わなかった理由は「ドラマティックな死にふさわしい筋肉が欠けていたから」と説明されています。

肉体を鍛え上げた今なら。。。ってことになりますよね?

セバスチャンの殉教図に(*´Д`)ハァハァするくらいですから、三島由紀夫は筋骨隆々な肉体が血に染まることに興奮を覚えたのでしょう。

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セバスチャン殉教図 出典)Wikipedia

それが高じて自分の身体に刀を入れることを望んだのだと思います。

そういえばこんな表現もありました。

 林檎の比喩をつづけよう。ここに一個の健やかな林檎が存在している。この林檎が言葉によって存在しはじめたものでなければ、あのアミエルの奇怪な林檎のように芯が外から丸見えということはありえない。

(中略)

しかしこの矛盾を解決する方法は一つしかない。外からナイフが深く入れられて、林檎が割かれ、芯が光の中に、すなわち半分に切られて転がった林檎の赤い表皮と同等に享ける光の中に、さらされることなのだ。 

 林檎は「筋肉」を指しています。

当時これを読んだ人は三島由紀夫が自殺することを予想出来たんですかね??

インタビューを読んで改めて『太陽と鉄』の重要さを感じました。

できれば正月中にもう一度読破して内容を理解してみたいです。

あとがき「発見のこと」も読みごたえありました。TBSの記者が音源を発見し、世間に発表するまでの経緯が語られています。ドキュメンタリー番組を観ているようで楽しめました。

気になる方はぜひご購入を。

 六本木「文喫」に行って30分で出てきた

そういえば、2月1日付で名古屋に転勤が決まったのでした。(なぜに2月。。。)

それで転勤が決まってから東京にいられることのありがたみをより感じるようになりました。

もっと東京観光しておけばよかった。年明けは忙しいだろうから東京を観光するには今しかない。そういうわけで急遽前から気になっていた六本木の「文喫」に行くことにしました。

bunkitsu.jp

以前も、お店の前までは足を運んだのですが、六本木のおしゃれな感じと店の外からわかるほどの混雑とで気が引けて入店しなかったのでした。

今日は混んでいても入店しなければならぬ。(三島由紀夫風)

日本橋にいたので、東西線茅場町に行き、そこから日比谷線に乗って六本木で降りました。A3出口を出て左手に真っすぐ進むと「本」と書かれた看板が見えてきます。

「文喫」ありました。

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写真は帰り際に撮影

案の上混んでいて入店1時間待ちでした。ご存じかと思いますが、文喫は入店するのに入場料がとられます。中の席が限られているので、混雑時は入場制限が掛けられているようです。

お店入ってすぐのエントランスのところに人が集まっていました。そこにはすでに本がランダムに平積みされており、本と出合うことができるようになっています。

受付カウンター前のそのエントランス部分のみが無料エリアで、それより奥の階段を少し上がったところにあるフロアから有料エリアになります。

混雑していて店員さんに案内されるわけでもなかったため、とりあえずカウンターに向かって店員さんに声を掛けました。

整理券を受け取って店内で1時間ほど待つことになりました。

整理券を受け取ってからお店の外に出てもいいようでしたが、呼び出しのあった時に不在だと予約が取り消しになるということで、店内で待つことにしました。

やはり客の出入りが不規則であるため、いつ呼び出しがあるとも知れず、自分が待っていた間にも4、5人が不在でキャンセルにされていました。

そして、ついに呼び出されて、簡単に店内の利用案内を聞いてから有料フロアに入りました。

有料フロアにいる間は受付で受け取った番号の書いてあるバッジを胸のあたりにつけておかなければならないようです。

店内は思ったより狭かったです。そのため、エントランス部分に置いてあった本はランダムに平積みされていたのですが、有料フロアの本はほとんど棚差しで背表紙くらいしか見えませんでした。

何が言いたいかというと、エントランス部のように様々な本が平積みされていると、その表紙の色の違いや本の様々な大きさが目に留まって新たな本との出会いになるわけですが、棚差しだと背表紙のタイトルの文字しか目に入らないため、結局意識に上ってくる文字しか目に留まらないわけで平積みの時より新たな出会いは少なくなってしまうのでそこが少し残念だったということです。

う~ん、小1時間待って2000円近い入場料を払った割には。。。。

お腹がすいていたので、中でカレーでも食べようと思っていたのですが、意外と中の飲食スペースが狭かったのと食事をしている人が皆無だったので、食べるのを諦めました。

確かにいろんな本があったし、おしゃれな感じではあったけれども、わざわざ入場料払うほどでもないのかなと思ってしまいました。。。

立地も立地なのでしょうがないですかね。

有料フロアの滞在時間は30分未満でした。

(空腹だったのですぐに出たわけです。お腹すいてなかったらゆっくりしてました。)

まあこれも入ってみないとわからない事だったので、経験料だったということで良しとしましょう。

というか六本木という地にある本屋さんということで、そこにいる人たちの雰囲気が私には合わなかったのだと思います。。。。

お店も、そこに集う人たちもおしゃれでなんだか浮足立つような感じがしたのでした。

これは私が悪いですね。

文句を少し書きましたが、中は静かでゆっくりとした時間が流れていたと思います。自分で読みたい本を持ち込んでもいいかもしれません。

ということで今日は以上です。