アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

4/5の不安:G.ポリア『いかにして問題をとくか』柿内賢信訳

G.ポリア「いかにして問題をとくか」

 タイトルの本、読みました。理解できていないかもですが、何かしらアウトプットとして記しておこうと思います。

いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか

  • 作者:G. ポリア
  • 発売日: 1975/04/01
  • メディア: 単行本
 

 私の手元にあるのは丸善ジュンク堂書店の創業150周年を記念したカバーが付いているものになります。(時間がないので、写真は省略)

カバーの開きには以下のように書いてあります。

おかげさまで丸善は、2019年、創業150周年を迎えました。創業者である早矢仕有的の「日本の発展と、人びとの幸福に寄与する」という想いから、西洋の知識や文化を日本に紹介し、人と知との出会いをつないできました。このたび、150周年の記念にあたり、丸善出版のロングセラー「いかにして問題をとくか」のカバー扉から、当時のデザインを基に新たな装丁を付しました。刊行から65年を経た現在も愛され続ける本書から、今日の”未知の問題をひらく”ことを願います。

発売日は1975年ということでロングセラー本ですね。古典のうちに入るかと思います。最後の文章からわかるとおり、本書は数学の本ではありますが、数学に限らない「問題」の解き方にも応用できる内容になっているかと思います。

私もこの本の存在は前から知っていたわけですが、あまりこういう意識の高そうな本を読んでも仕方ないと思って手には取らなかったわけです。

ところが昨年度(先月まで)、仕事の進め方で大いに悩んだこともあり、何かヒントになるものは得られないだろうかと読むことにしたのでした。

結果、考えてみれば当たり前ではあるような、様々な問題に直面した際の方法論について多少知ることができたのでした。

この「考えてみれば当たり前ではあるような」というのは裏を返せば、本書は基本的に算数や数学の問題を解くための方法論が書かれているだけということです。

ただ、私はそれだからと言ってつまらない、価値のない本だと言いたいのではありません。

そんな考えてみれば当たり前の方法論が言語化されているところが本書の素晴らしいところだと思います。きっと数学が得意な人からすれば本当に当たり前なのかもしれませんが、私は問題を解くときの方法を手順化していなかったし、そもそも言語化すらしていなかったので、この歳になってやっと問題を解く方法が自分の中に納まったような気がしました(全部が全部ではないですし、また本当に血肉にするにはもう少し読み込む必要がありそうです)。

そしてこの方法論というのは本書の見開きと最後のページに箇条書きされています。

本書はこの箇条書きされた方法論(本書ではこれを「リスト」と呼んでいる)の解説本みたいなものです。

基本的に3部構成になっていて第1部は問題を解く方法論の一般論および説明、それと少しの実例(算数の問題)が記載されています。

第2部はかなり短く4ページだけで方法論に関する対話形式の説明?が記載されています。

第3部は「発見学の小辞典」というタイトルで本書の大部分を占めています。第3部目は方法論の実例としていくつかの数学の問題や数学者の逸話、言葉の定義等について記載しています。

第3部は第1部で説明した方法論の詳述に近く内容が繰り返されている部分もあるため、冗長に感じる方もいるかもしれません。

ただ、タイトルにある「発見学」についての記載は3部が主な記載になるため、私はなんとか読み通せました。

発見学については本書で以下のように説明されています。

発見学を正確に定義することはむずかしい。論理学か、哲学か、心理学に属する研究でしばしば言及されるが、くわしく論じられたためしもなく、現在では忘れられたも同然の学問である。

その目的は発見や発明の方法と法則とを研究することである。

 数学の問題を解くにはやはり結論までどのようにたどり着くか見当がつかないといけないわけで、その結論にたどり着く方法というのはある種「ひらめき」や「勘」に頼ることが多いようです。

それで恐らく効率的にひらめく方法はないかと昔の学者たちによってその方法論が研究されたのでしょう。

本書には「発見の法則」として第一に「才能と幸運」、第二に「じっと座ってよい考えが浮かぶまで待つ」と身も蓋もないことを書いています。。。まあでも確かに発見のできる確実な方法なんてないわけで(あったらみんなノーベル賞)、ある意味現実的かなと思いました。

以下、個人的に印象に残った部分について書いておきます。

気になった箇所①実際的な問題

数学の問題の解き方以外に仕事や実際の問題の場合についてもいくつか説明がありました。「実際的な問題」の章では、実際的な問題(ここでは、「河にダムをつくる」場合を想定)と数学の問題の違いについて整理されていました。私が建設業界で働いていることもあり、若者言葉を使うと「わかりみが深い」内容でした。

実際的な問題の数学的な問題と違う点は、ざっと書くと以下の通りです。

  1. データと与条件の数に限りがない。
  2. 問題が複雑であいまいである。
  3. 予備知識が必要である。

1に関しては、本書には以下のように書かれています。

のぞましいデータ(与件)というものは数かぎりない。河の近くの地形や分流や支流、土地がしっかりしているかどうかの地質学的なデータ、漏水のおそれの有無、利用できる材料が何であるかということ、年間降水量についての気象データ、貯水の深さ、買収すべき土地の代金、材料の費用と労賃など。

構造物の設計はまさにこんな感じだと思います。様々な条件を勘案して最適解を導く。難しい。。。しかも数学の最適問題とは違って条件がほとんどトレードオフの関係になっていて、システマティックに最適解が導かれないというところも問題を難しくしていると思います。最終的にそういうところは技術者判断にもなるわけで、そういう意味で2の「あいまい」さにも繋がってくる部分はあると思います。

2について「複雑」というのは何となくイメージがつきますが、「あいまい」というのはどういうことかというと、この場合必ずしも全て厳密に計算できるわけでななくて近似解で満足しなければならないということです。

もちろんすべての物理現象が解明されたわけでもなく、計算できるわけでもありませんし、たとえ計算できたとしてもそれが真値かどうかは保証出来ないわけです。それにそもそも構造物を設計する際はそんなギリギリで持つように設計するわけではないので、ある程度の力の大きさがある程度の確からしさでわかればよいというところがあると思います。

また、3については、ダムを設計するには工学的知識が必要だということです(数学を解くには数学的知識が必要だと思いますが)。また、河の水をせき止めるダムのような土木構造物ははるか昔から存在していたわけで、当時の技術者は工学的知識というものをあまり持ち合わせていなかったにも関わらずダムを造ることが出来ていたのは経験的知識があったからと書かれています。これは現代の技術者にも必要なもので、とにかく実際的問題を解くにはある程度の予備知識、経験的知識が必要とのことでした。

以上、実際的問題と数学的問題とでは異なる点があるわけですが、問題を解く方法や態度はどちらも同じであるとのことでした。これはとても心強いことです。本書をしっかり読み込んで応用できれば実際の仕事にも役立つということなので。。。

 

気になった箇所②決定問題と証明問題

問題には本質的に異なる2種類の問題があるようです。それが「決定問題」と「証明問題」です。本書ではやたらと「決定問題」と「証明問題」の違いについて触れられていたように思います。また私自身もその言葉の違いについてある程度把握できたところがあるので、忘れないように本書の引用を書いておきます。

1.≪決定問題≫は問題の中の未知のものを見つけるのが目的である。

未知のものは未知数、求めるもの、あるいは必要なものなどとよばれる。≪決定問題≫は理論的なものでも実際的なものでも何でもよく、抽象的でも、具体的でもあるいは又まじめな問題でも単なるなぞなぞであってもかまわない。(中略)

2.≪証明問題≫の目的はある命題が正しいか正しくないかを示すことである。この命題は正しいか、正しくないか、という問に答えることである。それが正しいこと、若くは誤であることを証明して、明確な答を出さなければならない。(中略)

3.決定問題の主要部分は未知のものとデータと条件である。

各辺がa, b, cである三角形を作図する場合、データはa, b, cであり、求める三角形は各辺がそれぞれa, b, cであるという条件を満たさなければならない。(中略)

4.ふつうの数学の問題では≪証明問題≫の主な部分は証明すべき定理の仮説と終結の2つである。≪もしも四辺形の辺がすべて等しければ、その対角線は互に直交する。≫この文章のコンマで区切られた前半が仮説、後半が終結である。(中略)

やはり実際的問題としては≪決定問題≫の方が多く、 基本的に本書は≪決定問題≫に関して論じています。

数学の問題では証明問題を解くことも多く、本質的に異なる問題なので厳密に言葉を定義しているようでした。また、問題を解くための方法の一つとして、問題を変形させることも大事ということで、決定問題を変形させた場合にそれが証明問題に変わることもあるようでした。

 

気になった箇所③数学的でない例

私は数学の本として読んでいないので、もう一つ気になる箇所がありました。それは数学者パプスに関する章で「数学的でない例」において「解析」と「総合」という言葉の違いについて説明している箇所です。(ここらへんの章構成についてはよく理解できていません。)

原始人が水流が多くなって渡ることのできない溝を渡ろうとする状況を考えています。これは溝を渡ることが問題で、この問題の解xは「溝を渡ること」であるとされています。

原始人ははじめ倒れた木を橋として使うことを思いつきますが、周りを見渡してみても倒れた気がありません。そこで近くにある木を切り倒して橋として使うことを考えたりします。こうした考えの連鎖を「解析」と呼ぶそうです。そして実際に計画を実行し、木の橋を渡って溝を渡ることを「総合」と呼ぶとのことでした。

解析と総合とは順序が逆であり、またはじめに解析があって次に総合が来るということです。本書の言葉を引用すると、

解析は計画を考察することであり、総合は計画を実行することである

とのことでした。わかったようなわからないような。

ただ、よく聞く言葉の定義が少し自分の知っていたものとは違ったので新鮮でした。

数学で言うと、あるxに関する代数方程式があって、ある項をtで置換したところそれが単純にtに関する二次方程式となった、それをtについて解くのが「解析」であり、そのtからxを求めるのが「総合」??ということらしいです。。。

不確かなので、確実なことを知りたい方は本書を読んでみ下さい。

私が気になった箇所は以上です。

 

また、amazonの評価には「読みづらい」というコメントが散見されましたが、確かに読みづらいところはあるかもしれません。

まず活字の印刷がかなり古めかしいです。昔の箱本とかその時代のレベルです(私は渋くて好きですが)。今の書籍と比べると文字がはっきりしていないと思います。

また、ところどころ旧字体が使われています。(活潑や飜訳など)

「~したい」が「~し度い」と書かれていたり、「台形」のことを「梯形(ていけい)」と呼んだりしています。

あと読めなかったり気になったりした表現は「害(そこな)っている」とか、「汎(あまね)く」とか、「験(けん)す」とか、「精(くわ)しく」です。

私は辞書で調べながら読書することは悪いことではないと思うので、旧字体でもなんでもこんな書き方あるんだ~と楽しめました。

 

まとめ

最後に私が学んだ方法論についてあまり記述しなかったので、まとめとして方法論を大事だと思った部分について書いておきます(本書の表現とは異なります)。

未知なものは何か確認すること(何を求める問題なのか、何が目的なのか)

データがそろっているか確認すること。データを全て使っているか確認すること。

似た問題はないか考えること。進捗の兆候を感じること。その兆候が間違っていても、そこから最終結果を想像してみること。

各段階で計画が正しいか確認すること。。。

気になった点として書きませんでしたが、「進捗の兆候」については大事だと思いました。要は終結論に至っていない状況というのは色々が宙に浮いていて不確かな状況ではあるけれでも、自分が確かに最後の目標(解)に向かって進むことができているという「兆候」を感じ取ることが大事ということです(モチベ的な意味も含めて)。まあ、当たり前かもしれませんが。

そんな感じで当たり前の方法論が「言語化」されているので、普段しっかり言葉にしていない人からするとはっとさせられる点があると思います。

私のように自分の中に問題に直面した時の常とう手段がない人や、方法を手順化できていない人におすすめします。またもちろん、高校生や大学生、数学の教育に携わる方が読んでみてもいいと思います。

こんな感じです。また必要な時に箇条書きされた(リスト)を眺めてみます。

あと数時間で出社だ~。おやすみなさい。