アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

6/7の不安:三島由紀夫『私の遍歴時代』から太宰治に関する記述紹介します。

ここ数日ブログは書いておりませんでしたが(昨日今日とで出勤です。。)、筋トレは継続しています。

気のせいかもしれませんが、精神的には安定しており、やはり本当に「筋トレは最高のソリューション」なのかもしれないと思うのでした。

さて、本題ですが、特に記事に書きたいこともないので、タイトルにある三島由紀夫のエッセイ『私の遍歴時代』から太宰治に関する記載を紹介しようかと思います。

『私の遍歴時代』はちくま文庫から出ているものもありますし、中公文庫の『太陽と鉄』に収められているものもあります(私のはこっち)。

太陽と鉄 (中公文庫)

太陽と鉄 (中公文庫)

 

三島由紀夫太宰治は双璧をなす作家だと思います。

三島由紀夫は東京四谷生まれの都会育ち、東大卒だけど、運動音痴で女性にはモテない。『仮面の告白』なる半自叙伝的小説を書き、中年(45歳)で自殺。一方の太宰治は青森生まれの田舎育ち、東大卒で運動も出来て女性にモテモテ。。。かの有名な『人間失格』というこちらも半自叙伝的小説を書き、中年(38歳)で自殺。

仮面の告白』と『人間失格』とでは、文体も明らかに互いに真逆を行っているような気がします。。。仮面の告白はかっちりタイプで人間失格はゆるゆるタイプです。

仮面の告白の後に人間失格を読むと文体の落差で耳がキーンとなります。

あとにも書きますが、三島と太宰は出生等、相反するところもあれば、結構似ているところもあったんですね。そのせいもあってか、同族嫌悪で三島は太宰のことが嫌いだったみたいです。

 それでは、早速気になる箇所を引用します。

 私は以前に、古本屋で「虚構の彷徨」を求め、その三部作や「ダス・ゲマイネ」などを読んでいたが、太宰氏のものを読みはじめるには、私にとって最悪の選択であったかもしれない。それらの自己戯画化は、生来私のもっともきらいなものであったし、作品の裏にちらつく文壇意識や笈(きゅう)を負って上京した少年の田舎くさい野心のごときものは、私にとって最もやりきれないものであった。

 もちろん私は氏の稀有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反発を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは、愛憎の法則によって、氏は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。

※()内は私が追記しました。笈は「修験者や行脚僧が仏具・衣類などを入れて背に負う、脚・開き戸のついた箱」とのことです(Weblio辞書)。

愛憎の法則とは先ほどの同族嫌悪のことを指すのだと思います。自分が自分で嫌いだと思って人に見せないようにしていることを他人の姿で目の当たりにすると不愉快になるのは分かります。

それで、三島は太宰に会ったときに「あなたの文学がきらいです」と面と向かって言うんですね。場所は『私の遍歴時代』によると「うなぎ屋のようなところの二階らしく」、「十二畳ほどの座敷」だったということです。その時の様子がこちら。

 しかし恥ずかしいことに、それを私は、かなり不得要領な、ニヤニヤしながらの口調で、言ったように思う。すなわち、私は自分のすぐ目の前にいる実物の太宰氏へこう言った。

「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」

 その瞬間、氏はふっと私の顔を見つめ、軽く身を引き、虚をつかれたような表情をした。しかしたちまち体を崩すと、半ば亀井氏のほうへ向いて、だれへ言うともなく、「そんなことを言ったって、こうして来ているんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ。」

ここは有名なシーンですね。

これを言わないと自分の文学上の生き方がどうのこうのと三島は書いてありますが、実際には、闇市で手に入れたお酒を太宰治が皆に振舞っていた宴会に連れられた三島が、自分だけお酒が飲めずに盛り上がりに付いていけず、その場から浮いてしまった挙句に発した言葉らしいです。

それで、その発言のせいで空気が悪くなってしまったので、太宰治が「そんなことを言ったって好きなんだよな」と言って大人の対応を見せたというのが本当らしいんですよね。

この情報どこで自分が得たか覚えていないです。でもこっちの方が三島の性格を考えるとあり得そうだなと思っています。

もう一度、その「本当のところ」を記載した文献にあたりたいのですが、どなたかご存知であれば教えて下さい。

新潮文庫の「小説家の休暇」でも太宰について触れられていたような。。。

あの有名な二人に実は接点があったと思うとドキドキが止まりませんね。

ということで以上です。