アスペのグレーゾーンが不安を書くブログ

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アスペルガーグレーゾーン(仮)の社会人が日々の不安や気になる本について書くブログです。

3/29の不安:中島義道『ひとを<嫌う>ということ』角川文庫

結局仕事はせず、明日に任せようということで22時に横になったのですが、大地震が来る夢を見て0時過ぎに目が覚めたのでした。

そこからふとタイトルの本を思い出して手に取りました。

『ひとを<嫌う>ということ』

ひとを<嫌う>ということ (角川文庫)

ひとを<嫌う>ということ (角川文庫)

  • 作者:中島 義道
  • 発売日: 2003/08/23
  • メディア: 文庫
 

 中島義道さんご存じでしょうか。あまり詳しくないのですが、何冊かこの方の本は読んだことがあります。学生時代にひきこもり経験があり、留年を繰り返した上さらにウィーンで学生生活をおくった哲学者。。。

初めて読んだ本は『哲学の教科書』で、明治大学斎藤孝さんがおすすめしていた気がします。大学2年生くらいに読んで途中で挫折しました。

ただ書いてあって覚えていることは、「哲学するということは哲学を勉強するということではなくて徹底的に考えることである」、同じように哲学者というのは「哲学に詳しいのではなく、病的に考えてしまう人のことである」ということです。もう数年前の記憶なので間違っていたらごめんなさい。

学生のときってこういう本に手を出しがち。

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

  • 作者:中島 義道
  • 発売日: 2001/04/10
  • メディア: 文庫
 

 その他何冊か読みました。『働くことがイヤな人のための本』

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)

 

 この本もあまり覚えていないのですが、当時サラリーマン以外の道はないかと手に取ったことを覚えています。本としては面白く読めましたが、私の求めていた感じの答えが載っているわけではありませんでした。

最後の解説で女性の方から「社会不適合者」呼ばわりされていて笑ったことは覚えています。今読んだらまた感じること変わってるかな。

 続いて『カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ』

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)
 

 これは当時かなり弱っていた時に手に取りました。繰り返し読んだ割には覚えていないのですが、確か「悩まずに生きていたら、それはただの自然現象であって、悩むからこそ道徳的に意味があるんだよ」というようなことが書いてあった気がします。「悩むからこそ青年は美しい」と。

悩む青年と哲学者との手紙のやりとりで物語が進んでいきます。

ちなみにタイトルの「カイン」は旧約聖書に出てくるアダムとイブの息子カインとアベルから来ています。

中身はかなり繊細な人向けに書かれているので、そうでない人からするとかなり「キモチワルイ」内容かもしれませんが、思い出深い1冊です。

中島義道はあれですね、基本的に人生の理不尽は否定できないもので、それを味わうことで人生が豊かになるんだよというスタンスが多い気がします。

諦めが肝心!とか努力すれば報われる!とかではなくて「人生は理不尽」が前提にあってそれを真正面から受け止めるところがいいですね。実際にその理不尽を受け入れるのは相当骨が折れますが。。。

さて、前置きが長くなりましたが、タイトルの本です。

私も全部読んだわけではないのですが、ありとあらゆる「嫌い」のパターンについて説明がされており、またその説明ごとに小説の1シーンが引用されていたりしていて面白く読めます。

なぜ小説の引用が多いかと言えば、それだけ「嫌い」という感情が文学作品の大事なエッセンスになりうるからです。本文でも以下のように書かれています。

「じつは嫌いなのだが無理に嫌いでないふうを装う」という大前提をいったん捨てて世の中を見渡しますと、そこに大層おもしろい領域が広がっていることに気がついた。それは、突き放して見てみると、人間の魅力が輝き出ている場面であり、人生を豊かにする場面です。小説や芝居やオペラ、歌舞伎やお能や映画から「嫌い」を除去したら、似たりよったりのなんという退屈な作品しか生まれないことか!

 この本で書かれていることは「人を好きになることが自然であるように、人を<嫌い>になることもまた自然である。」ということです。

それを受け止めようということです。どうしても学校教育だとか倫理観から人を嫌うことに抵抗を覚えがちではあるけれど、全く自然なことなんだよと。

それに自分が人のことを嫌うことが自然であるならば、人から嫌われることもまた自然であり、そこに執着する必要はないということです。

自分も最近仕事のできなさでただでさえ悩んでいるのに、さらに嫌いな身近な人の顔が頭にちらついてイライラしてさらにそのことに対してモヤモヤしていたのですが、この本を読んで少しすっきりしました。

あいつのことは嫌いでいつづけよう。。。。

さらにこの本は、他人に対する「嫌い」だけではなく「自分」に対する「嫌い」つまり自己嫌悪についても論じています。

成熟するとは自己嫌悪を逃れて安定した自己肯定へと移行すること。これが出来ないのは過剰に自分に期待してしまっているのが原因だと。これは心理学者のいう自我理想が極端に高い場合で何をしても自分に満足できない状況にあると。。。

グサッと来ました。

これなんですよね。どうしてこうも失敗続きなのに自我理想は肥大化しているのか。

未だに疑問です。

以前、心療内科に行ったときに「バウムテスト」といって木の絵を描くだけのテストをやったことがあるのですが、私の書いた木はこんな感じでした。

 f:id:fecunditatis:20200329031242p:plain

ペイントで適当に書いたので下手さは勘弁してください笑。

診断結果は、「紙一杯に木を描いており、自分の理想が大きい傾向にある。」ということでした。ギャップに悩んでしまうかもしれませんね、と。

こんな木を描くだけで当てられてしまうとは。

普通だったら家族や友人との関係の中で理想と現実の自分のすり合わせを行うんですかね?

行動しない人の方が、失敗しないので自我が肥大化しているイメージがありますが、私はどこまでいったら本当の自分を受けいれることができるのでしょうか。

というわけで、私と同じように他人と自分を嫌ってしまってそれで悩んでしまう人、ぜひ手にとってみて下さい。

おやすみー。